『すばらしい新世界』 オルダス・ハクスリー
妻が出産直前の入院中に読んでいた作品。
確か、生まれた次の日くらいに読み終わったと思う。
よくもまあ、そんなタイミングに読めたな、と感心すると同時にそんなタイミングでこの本に巡り会えた自分が非常にラッキーだと思った。
誰もが知っているSFと言えばジョージ・オーウェルの『1984年』。SFというよりデストピアの有名格か。
一方映画では『ブレードランナー』が金字塔で、その原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』もSF小説として有名。
多分すばらしい新世界はそれらと対を成すようなものなのだろうが、そこまで知名度は高くなく、つい最近までてっきりアメリカ開拓時代の小説とかそういうものだと思っていた。ところが、ユヴァル・ノア・ハラリの本を読んでいるとユートピア的デストピアとして頻出するので猛烈に気になって光文社の新訳版を購入した。
ストーリーは西暦2540年、人間は自然な生殖を止めて人類は試験管からのみ生産されるようになっている。生産の過程で人間の条件付がされ、完全なコントロール社会で人々は生を謳歌しているが、ごく一部の(チューニングがずれてしまった)人間たちはその前提に疑いを抱いている。一方、世界の中にもまだ未開の土地が残されており、そこでは現代の私たちのように生殖活動をしている野蛮人と言われる人達がいる。野蛮人の青年が新世界に連れてこられ、両世界の比較が論じられ、登場人物たちの日常が急激に変化していく。
何より驚きなのは、この本が書かれたのが1932年で、今から100年近く前のことだ。ちなみに『1984年』は1949年、『電気羊』は1968年、『ブレードランナー』が1982年、『スターウォーズ』は1977年、第一次世界大戦が1914-1918年、第二次世界大戦が1939-1945年、ベトナム戦争が1960年代から1975年。
1984年や電気羊はSFの傑作だが、すばらしい新世界がこれらと一線を画しているのは科学的(生物学的)な視点が非常に強いことだろう。だからこそ、100年前に書かれたとは思えないのである。(自分があまりにも無知なだけかもしれないが)
ユヴァル・ノア・ハラリの本では快楽薬のソーマがよく取り上げられていた気がするが、自分が特別面白いと思ったのは条件付けの部分だ。例えば、自分という人物を客観的に見た時に、そこそこの学歴で、そこそこ賢いけど、人類の叡智とかはおろかちょっと難しい物理の問題なんかはお手上げ、なぜならそういうことが全く理解できないし理解しようとしてもどうしても理解できないと自分の限界を感じることが多々ある。一方で、平たく言うともっとおバカな人達がいることも知っているし、もっと賢い人達がいることも知っている。この本の中ではこういう感覚的な人間の優劣というものが非常に明快に言語化されて、しかもそれが社会システムとして設計されているのだ。
受精卵は孵化器に戻され、支配階級のアルファ階級とベータ階級になる受精卵は瓶詰めの時期までそこにとどまる。一方、その下位のガンマ階級、デルタ階級、エプシロン階級になるものは、わずか三六時間で孵化器を出されて、ボカノフスキー法の処置へと進むことになる。
。。。
「要するに」と所長は結論づける。
「ボカノフスキー法とは一連の成長阻害処置だ。成長を邪魔すると、パラドキシカルにも、卵は増殖することで対応するのだ」
。。。
「ボカノフスキー法は社会の安定性を維持するための主な手段のひとつなのだ!」
同一の型から作られた標準規格の男女。ボカノフスキー法の処置を施したひとつの卵から、小規模な工場を一つ稼働させられる労働力が得られる。
何と恐ろしいことか。読み進めていく中で自分がどの階級にあたるのかを考えざるを得なかった。この本を読んだ多くの人はベータ階級と答えるだろう。では、人間が工場生産されるようになると、感情や愛情、恋愛や家族愛のようなものはどこに行ってしまうのか?
「わたしの赤ちゃん、わたしの赤ちゃん・・・・!」
「おかあさーん!」狂気は伝染する。
「ああ、愛しい人、私のたった一人の、大事な、大事な・・・・・」
母親、一夫一妻制、恋愛。高々と吹き上がる噴水。泡立つ激しいほとばしり。衝動のはけ口は一つだけ。わたしの赤ちゃん、わたしの赤ちゃん。憐れな前近代人が狂気と背徳と悲惨にまみれていたのも無理はない。彼らの世界は物事を気楽に考え、正気を保ち、美徳と幸福を手にすることを許さなかった。母親や恋人というものがいて、禁止事項を守るよう条件付けられていなくて、誘惑や寂しい後悔、病気や孤独の苦しみ、不安や貧困があるーこれでは激しい感情を持たざるを得ない。激しい感情を持っていて(しかも個々人が絶望的に孤立して孤独を感じている中で激しい感情を持っていて)、どうして安定が得られるだろう。
。。。
「安定性」とムスタファ・モンドは言った。「安定性。社会の安定なくして文明はありえない」
。。。
「安定性。最初に必要で、最後に必要なのはそれだ。そこからこうしたものすべてが生まれたのだ」
いま、我々が生きている世界、そして今まで生きてきた世界の偽善をここではっきりと暴いている。
激しい感情を持つことであらゆる犯罪や戦争が起きてきた。だからといって、激しい感情をなくしてしまう社会システムを作るのが正しいとも言えないし、そんな世界は不気味だ。そのあたりの感覚をつまびらかにしている文章と言えるだろう。そこに説得力があるのは、小説の中の虚構ではあるが科学的な言葉でディテールが語られるので自ずと信憑性が高まっていく。
そしてこの小説の中でも白眉なのが、このあたりの文章が演劇的、映画的に構成されている点だ。ムスタファ・モンドの生徒たちへの説教と、うら若き女子たちのシャワー室での日常会話、インテリ層の男たちが話す下世話な話、その話に苛ついている主人公の一人、などの台詞が時系列を同じくして並列にマシンガンのように浴びせられ、その内容とスピードは加速していき、ついには第一章が終了する。この怒涛の台詞劇は怒りの葡萄のカーセールスのシーンを思い出させる傑出したシーンだ。
馬は6歳で成熟する。象は10歳。人間は13歳でも性的に成熟しない。完全に大人になるのは20歳、もちろん、身体の発達が遅い代わりに知能が高い。
「でも、エプシロン階級に高い知能なんて必要ありません」とフォスターはずばり言い切った。
必要ないものは与えない。だが、エプシロンの知能は13歳で完成しても、身体は18歳まで労働に適さない。成熟するまで何年か無駄になる。もし身体の発達速度が、たとえば牛くらいに速まったら、共同体にとって大いなる節約になるだろう!
この部分は個人的に読み返して大変興味深く思った。というのも、フェムテックを将来的にやろうと考えていた時、そして妻が妊娠していた時にこの妊娠期間を縮めることができたらどれだけ人類にとってプラスになるだろうかと考えていたからだ。また、動物の赤ちゃんは生まれてすぐに大人とほぼ同じ活動ができるのに、人間の赤ちゃんは何年も親に世話をしてもらわないと生きていくことができない。では、その無駄な期間を短縮できないだろうか?そんなことを考えていたので、まさか100年前にこんな先進的な考え方をしている人がいたとは思っておらず驚いた。
次に面白い部分は、世界統制官の一人であるムスタファ・モンドがこの完璧で、と同時に欺瞞に満ちた新世界について一人考えを馳せるシーン。
だが、”目的”という概念での説明を許すならーとんでもない結論が導き出されるだろう。それは上層階級者の中でも思想的に不安定な者の条件反射教育の効果を無にしてしまう可能性を秘めている。彼らは”至高善”としての幸福への信念を失い、目標はどこか現在の人間的世界を超えたところにあるという思想を信じてしまうかもしれない。その思想によれば、生命の目的は幸福の維持ではなく、意識のある種の強化と洗練、もしくは知の拡張にある。それは真理かもしれない、とムスタファ・モンドは考える。・・・それからため息を付いて、こう考えた。幸福のことを考えずに済むなら、どんなに愉しいことだろう!
もう一つ取り上げるのは野蛮人ジョンが未開文明の正しさを主張するが、ムスタファ・モンドに論理的にやり込められていくシーン。ムスタファ・モンドはとんでもなく頭がよい。そして、野蛮人ジョンもそれしか読むものがなかったからとはいえ、シェイクスピアの全集、全台詞が頭に入っていて自由にその引き出しを開けることができるとてつもない頭の良さ!
「いいかねきみ、文明には高貴なことも英雄的なことも全然必要ないんだ。そんなものが現れるのは政治が機能していない証拠だ。われわれが生きているような適切に運営された社会では、高貴なことや英雄的なことをする機会は誰にも与えられていない。そんな機会が生じるのは社会が本格的に不安定になった時だけだ。戦争が起きたり、どちらの側につくべきかで葛藤が生じたり、抵抗すべき誘惑があったり、それを手に入れるためや守るために戦わなければならない愛情の対象があったりするときーそういうときは高貴なことや英雄的なことにも意味があるだろう。だが今はもう戦争などない。また人が誰かを過度に愛しすぎるのを防ぐために周到な方策がとられている。どちらの側につくべきかの葛藤などは生じない。ひとはなすべきことをするよう条件付けられている。そしてなすべきことというのは概して快適な行為だ。自然な衝動の多くは抑えなくていいとされているから、抵抗すべき誘惑など現実にはない。そしてかりに不運な偶然から不愉快なことが起きた場合は”ソーマの休日”が忘れさせてくれる。ソーマは怒りを鎮め、敵と和解させてくれ、忍耐強くしてくれる。昔ならそんな事ができるようになるには多大な努力と長年の精神的訓練が必要だった。それが今では半グラムの錠剤を二、三錠呑むだけでいい。誰でも円満な人格が持てる。ひとりの人間が持つモラルの少なくとも半分は瓶一つで持ち運びができるんだ。苦労無しで身につくキリスト教精神ーそれがソーマだ」
最後にいくつか、英文でラップのライムにそのまま使えそうな名言集。
原文の凄さは語るまでもないのだが、この和訳は本当に素晴らしい!
"Ending is better than mending" 継ぎ接ぎするより次々捨てよう
"A gramme is better than a damn" うらむより一グラム
"When the individual feels, the community reels" 個人の想いは社会の重荷
"Was and will make me ill. I take a gramme and only am" 過去と未来は大嫌い。1グラムで現在だけを生きる
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