ホームページ更新、日本旅行、建築の射程、ウクライナ侵攻
ベトナムに来て3年が経とうとしている。
一番最初に取り組んだプロジェクトは2020年の末に竣工し、それから1年以上竣工作品がない状態が続いている。
事務所ではコンペに取り組んで勝ったり負けたり、いくつかのプロジェクトがぽしゃったり。
そんなこんななので、事務所のホームページもなかなか作品掲載が出来ないのだが、今回許可をもらって自分の関わった2つのプロジェクトをこのホームページに載せた。
さすがに、自分一人でやっていた時のデザインとはレベルが違う。
自分の名前で仕事をしているわけではないし、自分一人ではこんな様々な仕事や、デザインが出来ないのだが、これからも精進して独り立ちできるようになろう!
テト前後は、2年半ぶりに日本に帰ることができた。
両政府の水際対策がかなり厳しかったため、かなり下位の一般人としてはなかなか決心がつかなかったのだが、隔離期間や書類手続きなどが簡易化したおかげでようやく渡航して、そして無事にベトナムに戻ってこられた。
祖母が危ないということで生前に一度会いたいと思って帰ったのだが、オミクロン株の功罪か、無事日本に帰ることは出来たが、病院が面会を禁止にしたためついぞ祖母に会うことはかなわなかった。胃がんステージ5と言われながら最近もちょくちょくLINEメッセージの交換をしている。全く、あっぱれな人だ。
久しぶりの日本は、1週間の自宅隔離(オンライン勤務)と2週間の遊び惚けだったのだが、本当にあっという間だった。
こんな状況の中わざわざ会ってくれた友人たちにはとても感謝している。いい刺激をもらった。
帰りの飛行機の中で、今回の日本旅行で気付いたことを書き上げてみた。以下がその内容だ。
・都市の在り方
・インフラ
・人
・地続き感
・閉塞感
・同じ方向を向いている(?)
・クオリティ
・自負
・表と裏
・物価高い
・右寄りのテレビ
・身なりの良さ
・まじめに働く
・マスクを外さない
・信号を守る
・豊かな生活、か?
・紙包装の多さ
・言葉が通じる
・子供のしつけ
・余裕
・コミュニティの維持
・働きすぎですり減る精神
・お連れ様、と呼ぶ
・皆車を普通に持っている
・安物のマスクを使っている
・皆、問題を抱えている
・排除されるヨソ者
・外人を思いのほかまちで見かけた
・空気がキレイ
・雪が降った
・親父から借りたPASMOは打ち出の小槌
・クレジットカードの差し入れを自分でする
・デザインが各所で行き届いている
・流行りものの射程
・ビルビルビル
・幸せじゃない、?
・東京メトロで外人用Wi-Fi?
・人生すごろく
・電車の中で携帯動画や携帯漫画
・負け組がはっきり
・高齢者に席を譲らない
・接触の少なさ
・そこら中で手消毒と検温
・車が道を譲ってくれる
・愛がない?
・アクティビティの少なさ
・どこまでもセキュア
・開発の多さ、途切れなさ
・美術館の多さ
・利己的?
などなど。どれひとつとってもブログ一本にまとまるくらい書きたいことがあるし、どんどん思い浮かんでくる。3年離れて暮らしてみると浦島太郎ほどではないにせよ、かなり違った角度から日本を見ることができた。ただ、良いか悪いかの二元論に陥らないように、こういった気付きを蓄積して、自分の価値観を鍛えるためのヒントにしていければいいだろう。
建築的なことでいうと、自分の作品や友達の作品、有名かそうでないか、大小含めて建築家の作品を改めて、あるいは新規でたくさん見てきたなかで思い浮かんだのが、建築の射程の捉え方だ。
流行りもののスタイルで、それなりにかっこよく、それなりに地域の人に愛されて、それなりの投資効果を得られるような建築作品が非常に多かった。
平たく言うと、建築の射程が短い。5年後、10年後のその建築の姿が(良い方向で)想像できなかった。
日本の施工技術はきちんとしているので、当然5年や10年そこらでガタがくるようなものではないが、ちょっと攻めたおさまりをしているようなところはかなり心配だし、そもそもそれらの建築の射程が5-10年程度に設定されている、あるいはそれ以上先の未来を描くことができていない、そんな気がしたのだ。
それがいままで何かつっかえていたことなのだと思う。ベトナムに来てすぐのときに、ボスが我々はベトナムの未来を形作る仕事をしている。外国人の目で見ているからこそできる、国造りなんだ、みたいなことを言っていた。
そんなことまで言っちゃって大丈夫かこの人は、と当時は思っていたのだが、これはとても良い指標なのだと今になってわかった。
ブルーノタウトが桂離宮を見出したように、アントニレーモンドが各地に名建築を残したように、この発展途上のベトナムで僕たちが外国人の目で見て、国を形作る仕事をするという価値があるのだ。
そして、その価値ある建築というのは5年や10年という射程ではなく、50年、100年という規模なのだ。
東京に、日本に残る丹下健三の建築がそうだ。
僕たちの使命は、50年、100年先も人々に愛されて、町や都市や国を象徴するような建築をつくることなのだ!
と、加熱し過ぎたが、日本でずっと感じていた閉塞感と、ベトナムでなんだか暗中模索をしていた感がこれでスッキリした。
ロシアのウクライナ侵攻は3日目に入った。
自分が生きている間に実際にこのような戦争が起こるとは思っていなかったので、非常にショッキングだ。もちろん、各地で紛争や軍事衝突が起こっているが、これは世界規模に発展しかねない国と国の対立で、地政学的観点からしてこれがさらに軍事的な拡大しないとも限らない。
日本では対岸の火事かもしれないが、ベトナムではどうなのだろうか。
ベトナムは数少ない社会主義国で、ロシアとも強い親交がある。無論、ウクライナともだ。日本よりもずっと近くて、複雑な立場に置かれているのかもしれない。
ロシアという超巨大軍事国に小さなウクライナが孤軍奮闘して対抗するというのはあまりにも不均衡で、祖国とか独立とかいうアイデアのために命を落とす人たちがいるのが悲しいし、自分が同じ状況におかれたらどうするのか、気持ちが暗くなる。
そして、世界の平和や幸福というものは非常にもろい土台の上に成り立っていたことがわかった。
怖いよ、私は。
でも、生きるのだ。
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