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人口増減、移民、高齢化

自分自身が移民という扱い(でいいんだよね?)で海外に住んでいるので、その手のニュースには興味がある。

また、ベトナムに根を下ろすつもりもなく、数年したらまたどこか別のところに移り住んでみたいと思っているので、世界中の状況に興味がある。とはいえ、それらを追っていたら新聞記者にでもならない限りやりきれないので、時々新聞で見つけた記事はちゃんと読む程度の興味だ。


いつかアフリカに住みたいとも思っているが、びっくりするほどアフリカについては何も知らない。地理もわからなければ歴史も文化も何もかも。だからこそ興味があるとも言える。



さて、世界のニュースで驚くべきことは、地球規模で見たときに人口が減少し始めるのが2064年の97億人という説があるらしい。国連の中位予想では2100年まで増加が続いて100億人を超すというシナリオらしいが。


人口減少、少子高齢化とうるさく言われて育ってきた自分からするとなかなか驚きの内容である。合計特殊出生率が1.34人という日本。人口維持のためにはこれを2.07にしなければならないそうだ。

そもそも合計特殊出生率というのは一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均を示す。一人も産まない女性もいれば、子供はいても一人、という人も多いので、実はこの1.34という数字自体自分の体感からすると結構大きい。先述の合計特殊出生率1以下の女性たちが多くいる中で、それを1.34にまで持ち上げるということは子供が二人というのが多く、さらに言えばそれ以上の子供を設ける女性が少なくない、ということになる。超雑な考え方ではあるが。

日本で合計特殊出生率が最大だったのは1947年の4.54。戦前は産めよ増やせよで戦後は出征先から帰ってきて新しい時代のために子供を作ろう、ということだっただろうからまあ良しとして。

そもそも、驚きなデータは戦後は男女ともに100%近くの男女が結婚をしていたが(35歳―39歳の未婚率は1970年の男性4.7%・女性5.8%から2015年で男性35%・女性23.9%まで急上昇)、最近は(2018年データ)生涯未婚率が男性で23.4%、女性で14.1%という。更に離婚率は概ね1/3程度というから、もう何が何だか分からない。至極単純化して考えると日本人男性が100人だった場合、75人が結婚するが、そのうち25人が離婚する(確か離婚件数は重複がある上同じ人が複数回離婚をする傾向があるのでそんなに単純な話ではないのだが)ので、普通に結婚して普通に子供を作って、という「普通の」家族像に当てはまる男性は人口の半分しかいないようだ。それでは婚外子がタブー視される日本においては子供の数が増えるはずもなかろう。


日本の話が長くなったがベトナムはどうか。

Lyは四人兄弟で、両親は10人兄弟くらいという。まさに自分の両親と祖父母世代といったところで、一世代分ずれている感覚だ。尤も、都市部ではもう少し兄弟の数は少ない傾向のようだが。

姪っ子のBongは三人兄弟で、まだまだ人口増の兆しが見える。(木の枝を見て森を見ず状態だが)そこでデータを調べてみると、ベトナムは1980年に5.05であったが、90年代終わり頃から2.0の前後を推移しているようだ。2019年で2.09。

これも都市ごとに大分数字に違いがあるので、Thanh Hoaのような田舎の方では2.54、ハノイで2.24、最低のホーチミンで1.39。ハノイに住んでいると、お金がないと二人目は作れないという話を聞くが、それでもかなりの高水準だ。ホーチミンは西洋化が進んでいるのだろう。全体的に南のほうが数字が小さい印象だ。高度成長を続けているベトナムでも人口維持ギリギリのラインなので、一体2100年まで人口が増え続ける要因はなんなのか、と気になる。ちなみにアジアの人口増加のピークは2055年という予想がある。たとえ生まれてくる赤ちゃんが少なくなっても、高齢化によって減る分が少なくなれば緩やかに人口は増加を続けるので、その影響もあるのだろう。


https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB20E3K0Q1A520C2000000/?n_cid=NMAIL007_20210824_A


さて、人口増加の答えはアフリカにあるようだ。

アフリカでは人口爆発が継続するという。

爆発的に増加した人口が移民として別の地域に流れていくことで、先進国で萎んでいった人口を補うことを予想しているが、仮にそうならなかった場合はアフリカが数の原理で世界を征服する未来なんてこともありえるのだろうか。


別の記事には人口増加が止まる傾向、合計特殊出生率が全世界的に下がっている傾向の原因として女性の社会進出と高等教育の機会の増加をあげていた。現状、子供を生むことができるのは女性だけなので、そこにフォーカスが当たるのは仕方がないのだが、それ以前に、なぜ我々は子供を作ろうとするのか。なぜ子供をたくさん作らなければならないのか。なぜそれが国家の人口維持のための数値目標として表されなければならないのか。などの根本的な議論が置き去りにされているように感じた。

自分個人としては、子供をたくさん作る理由はまったくもって見つけることができない。

かつては子供というのは小さな大人であり、労働力とイコールの存在だったという。あるいはもっと前までさかのぼって、途中で病気や事故でバタバタと死んでいくので子孫を残すためには何人も産まないといけない、ということもあったろう。今となってはどちらも当てはまらない。

子供を作る理由としてあげられるのは、動物的な本能というかプログラムとして子供を作らなければならない、という無意識の意識や、ハッピーな家族像だとか、できちゃったとか、色々あろう。ただ、それが複数、しかも3以上になるというのは謎だ。高校時代の友人には3人兄弟が多く、自分も3人子供が欲しいなんて言っていた連中がいたが、それもうなずける、が自分の人生には勘弁してもらいたい。

それは経済的な理由からなのか、そうではないとは言い切れないが、そもそものところでコンセプトがそもそも自分の頭に存在していないのだ。


また回り道をしてしまったが、女性の社会進出と高等教育の機会によって子供を産まなくなるのだとしたら、裏返しとして人口増加が続く国々の女性はその逆で、子供を生む機械であり続ける、そしてその概念を許容し続ける社会が存続するということになる。そう考えると人口増加はすぐにでも止まってしまいそうなのだが。


https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE2575A025052021000000/


ジェンダー問題についてもこれからじっくり考えていこう。


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