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結婚式 2023.10.29

結婚式に関しては随分若い頃から否定的だった。

というのも、結婚式が人生で一番幸せな日、とか結婚式のために結婚するとかそういう考え方が前面に出てきているように感じていて嫌だったのだ。結婚というのは所詮は書類上の話であって、二人が幸せであることが最も重要だということを忘れているひとが多すぎると思っていた。恋人もいたことがない若かりし頃からの話だ。

それが、親友の結婚式の話(招待はされていない)と姉の結婚式に参列した経験から少しずつその気持は肯定的なものにシフトしていたものの、ベトナムに来てからいろいろな結婚式に参加してこの気持もまた変わってきていた。

そんなところから自分の結婚式となった。

まさか、ね。


日本でやるのか、ハノイでやるのかタインホアでやるのか、とか色々あった。

そんななか家族の健康状態やら占い師の言う日程に合わせなければならないとか、あまりにも田舎すぎる場所には日本の家族は来られないとか、それでも実家で昔ながらのスタイルでやりたいとか様々な因子が重なってどうにも打開できないと思ったときもあった。

日本から両親が来てLyちゃんの実家まで挨拶に行ってとりあえず結婚式はちゃんとした会場でやりましょうという事になったはずだったが、その後またもや様々な揺り戻しがあったりして更に混乱を極めた。

せっかくビーチの近くのホームタウンなのだからということでビーチ婚をしようと言うことになっていたがこれもなかなか会場が見つからないとか高いとか色々あって、最終的に会場が決まったのは結婚式のまさかの2週間前だった。

打ち合わせもそこそこに、飾り付けや花、料理などはメッセージベースでそこから進んでいたようだが、なんともインスタントなものだ。

1,2ヶ月雨が降っていなかったのだが結婚式の直前から急に天気が悪くなり、雨の中、外で結婚式とか最悪だなとか考えていた。高校の部活でお世話になっていた先生は結婚式の日が嵐だったので今でも奥さんに怒られると言っていたのを覚えている。

会場が決まってからも時間が午前中じゃないとお母さんは参加しないとか、どこどこの親戚を招待したのにうちは招待されていないとかで喧嘩が起きたとか、横から槍がたくさん入ってきて正直うざかったし、なぜ二人の門出を祝うという最も重要な気持ちを忘れてしまうのか、と腹立たしかった。


そんなこんなもあって迎えた当日だが天気は今にも雨が振りそうな曇天模様だったが、なんとか持ちこたえてくれた。

ハノイから来てくれる友人のために用意していた大型バスはなんと60キロも先まで間違えて道を爆進していたために結婚式に1時間以上遅刻するわ、両親が着替えるために時間がかかって式がなかなか始まらなかったり、お父さんはいつ見ても何を考えているのかわからない表情だったりしたが。

あの強情なお母さんが数年越しの説得になびいてアオザイを着てくれて(履物は便所サンダルだったが笑)化粧までしていたのには嬉しかったし、自分のスピーチのときに大笑いしてくれていたのを見て嬉しかった。

また、10年前くらいのお姉さんの結婚式のときは貧乏すぎて慣例のプレゼントが全然貰えずにお姉さんが泣いたという話を聞いていたので、そういう思いはさせたくないと思い日本側の家族にプレゼントを用意してもらうように随分前から根回しをしており、(その準備も大変だった)当日も多少ばたつきながらもうまく行ったのだが、なんとその後に親戚からのプレゼントが来るわ来るわで二人の両手に収まらないくらいの指輪を親戚たちからもらった。なぜかタグ付きだったのはその人達へのお返しのときに同等のものを送らなければならないからだとか。なんとも現金主義な話なのだが。そんなこんなをしているのを見ていると自然と感動してきて大泣きしてしまった。

まさか結婚式で新郎が大泣きするとは誰も思ってなかったであろうが、それくらい感極まってしまった。

普段はふたりともテキトーに日常生活を送っているのだが、結婚をして、結婚式をしてみなさんに祝福されているということの凄さのようなものも心の奥では爆発していたのだと思う。


そんなこんながあって、結婚式は最高に幸せな人生の瞬間のひとつとなったのでした。




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