悪い男
悪い男という映画がここのところゆれている。
坊主頭の男が醜さと美しさの表裏をなす刃の上をつーっと進んでいくような愛のかたちを見せつけるとんでもない映画なんだが、
坊主頭の男が非常にかっこ良くて、自分を彼に投影したい気持ちに駆られる。
最近本屋で初めて手にしたananに「付き合いたい男」みたいな特集があり、その中に
「何日かぶりに会うといきなり坊主頭になってた。深夜二時にドライブに連れて行かれたり、そういう突飛なことをする男はNGです。(24才会社員)」みたいな記事というか書き込みがあった。
まあ、そうだろうな。とは思いつつ、それでも世の中のanan女子を敵に回しても自分のやっていることを正当化したくて、この映画の坊主頭の男をずっと心のなかに思い描いているのだ。
街に出ると、そこは淫売の匂いばかりする。
畢竟世の中はキャピタリズムとセックスによって成り立っているのだから当然のことなのだが、
それでも僕には刺激が強すぎる。
映画悪い男では主人公が屈折した愛の表現としてか、
恋に落ちた女を他人に性の商品として消費させることで彼女の身体は形而上的な存在になる。
一般的に、自身の中の欲求だけを相手に投影することで女の身体は消費されるものー物質ーからその固有性を奪われ純粋な”精神”になるだろう。
ここではそのプロセスを他人にさせることで自分の愛する女が肉体から形而上的な存在、純粋な精神に成り変わっていくことを観察しているのである。
その後も彼と女との関係は夢の様な、プラトニックなものであり続けるのである。
それこそが彼らの愛のかたちであり、決して誰にも侵されることのない神聖な領域だから。
なるほど自分で書いていてわけの分からないことになってしまっている。
でもこの季節の街に溢れる柔らかくて生暖かい魔力を全身に感じるとこんなことを考えてしまう。
花粉が落ち着いたと思ったらこれだから、人生はなかなか難しい。