スプリングシンドローム
スプリングシンドローム、この言葉は僕が大学二年生の時に覚えた言葉だ。というか自分でつくった言葉だ。
好きな女の子にしばらく会わないうちにその感情がどんどん高まり、いつの間にか自分の中では二人は親密な仲。
だけれども春休みが終わり久しぶりに顔を合わせてみると相手は何のこともない、挨拶すらろくにしてくれない。
それはそうだ。春休みの二ヶ月間、全く会っていないのにこっちは海外旅行で危険な目にあった時や夜も眠れない時にその人のことを想っては二人だけの記憶と経験を積み上げてきたが、彼女はそんなことを知る由もなく、長い休みの間に自分のことなど忘れてしまっていたのだ。
これがスプリングシンドローム。
夏休みはなんやかやで忙しく、ひとり物思いに耽っている時間はあまり多くないが、春休みとなるとそうはいかない。
生暖かくなっていく外の世界を肌の一部分で感じながら、それを自分の体内と脳みそに吹き込み続けているから。
大学院も卒業し、こんな青臭いことは過去の思い出、となるはずだったがいまでも自分にはこのスプリングシンドロームが身体に根付いていることを実感することがたまにある。
こんな情報化時代であっても連絡をとらない手段はいくらでもあり、スプリングシンドロームを楽しむことは可能だ。愛し合っている二人の間でも、それは可能だ。
虚しい消耗に感じられるかもしれないが、この愛はなかなかのものだと思う。