豆腐とカミソリ
想像力というものは未来の経験のことだろう。
だから、想像できるものは未来に経験できるものであって、その逆もしかり。
時間を超える高度な感情移入が必要になる。
当然自身の未来に対する創造であっても、未来の自分は現在の自分ではなく、知らない人だから。
難しいことを考えても本能と習慣には勝てないもので、
結局つまらない日常というものになんでも回収されてしまうものなのだろうか。
人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな だけど出来ない理由は やっぱりただ自分が恐いだけなんだな
と歌ったのは井上陽水。
こういう気持ちを持つ時はある。全く良くわからない精神状況だけれども。
だが、本当に人を傷つける機構はこんなものではないのだろう。
豆腐のなかに混入したカミソリのようにいつの間にか人のことを知らず知らずに傷つけてはそれに気づかないでいる。
なにせ自分では自分は豆腐だと思い込んでいるのだから。
カミソリに脂肪がまとわりついていつのまにか柔らかくに鈍い生き物になっている、ということも往々にしてあろう。というかそれが一般的な年のとりかたかもしれない。
”他人”と関わりあうことで生じる”社会”に適応しようとして脂肪をまとっていく。
そうだ、そもそも生き物は誰かを傷つけながら生きているものなのだろう。
いや、”関係”というものが連れて行く場所は墓場に他ならない。