尊い生き方

資本主義について何かが言えるほど知っているわけではないが、自分の生活を冷静になって振り返ってみるとさまざまなものの価格について疑問が生じてくる。

4月から時間給のフリーターとして働いていることも有り、自分が手にする商品がどうやってこの価格になったのか、ということを考える。

たとえば、100円のマクドナルドのハンバーガー。

レジで売っているお姉さんがいて、

調理場で作っているお兄さんがいて、

その中身はといえば肉やら野菜やらパンやらがあってそれぞれを生産している人がいて、

当然その間には流通と卸が媒介していて、

あとはお店の建物があって、機械があって、と考えだすとキリがない。

ものを売るということが商売であるとすると、それは仲介をしていることに過ぎない。

多くの業者がこれにあたるだろう。

さて、こんな事を考えていくと農業とか漁業というものに目が行く。

この2つの大きな違いは奪い取るか、生産するか、ということである。

だからこの2つの生業は本質的に異なるもので、まあ考えれば当然だが、その尊さというか純粋さのようなものを比べると僕は農業を評価したい。

土からものを創造している。

と、いう感じでいつものようにだらだらと考え事を長々としていたのだが、たまには本でも読んで勉強してみようと思ってマルクスの本を読んでみた。

これが目からうろこ、というか、全然別のパースペクティブがものすごい勢いで自分の中に突き刺さったというか、まさかの関連性があった。

「生産力の増大につれた労働の規模が大きくなるため、一時的な過剰生産がますます必然的となり、世界市場はますます拡張し、競争はますます普遍的となる。こうして恐慌はますます激しいものになり、労働者は突如として結婚と繁殖を奨励する手段を与えられ、彼らは巨大な集団へとますます集積し、彼らの賃金はますますもって不安定なものとなる。したがって、新たな恐慌のたびごとに、労働者間の競争は直接的にいっそう大きなものになる。」

結婚、繁殖、、

しかし、そうか、労働ということを考えていくと当然そうなるだろう。

たまたま最近「結婚の起源」という本を読んでいたのだが、社会学的に結婚のことを紐解いていくのかとおもいきや猿の話だった。そこでは、女性の性の能力が発達したことでつがい関係を長く保ち続けるようになっていって、ということだった。とはいえ猿の世界にも社会的な力が働くことによって(社会とは自分たちがつくりあげるもの、自分たち自身であるが)結婚と繁殖を奨励されていたようだ。

最近の日本社会では出生率1.8を目指すとかなんとかいっているが、そこにも当然このような背景があるわけで、われわれが世界の規模を大きくしていくベクトルに向き続けている限り、結婚と繁殖は無限に志向され、創造という尊さからは遠ざかっていくのだろう。

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