失われた時を求めて、2017

05.01.2017

年が変わった。

以前は年が変わる瞬間をジャンプして過ごすことで文字通り年を跨ぎ、一年間を飛び続けていようなどと思っていたが、去年か今年あたりから年が変わることに対する期待とか喜びのようなものがほとんどなくなったように思える。

それでも区切りは区切りなのでこの目的のないブログに所信を表明してみようと思う。

 

失われた時を求めてを読み終わることは翻訳者の人がミラクルな働きをしない限りあと数年はかかるだろう。

いまは先月に発売ほやほやの第五巻を読んでいる。この本には各巻ごとに運命の女が出てきていると説明できるだろうが、自分が最も感心し、共感し、熱狂したのはジルベルトとの恋だった。当時の主人公はおそらく中学生くらい。自分の恋愛精神年齢は中学生レベルということか。もう少し本を読み進めていき自分の実年齢と主人公の年齢が被る頃の話を読んでみたいとうずうずしている。

そもそもこんな遊びをしていることが中学生レベルなのだろうが、まあ楽しくやると考えれば良いことだろう。

 

さて、今年の年賀状は酉年ということで鶏が先か卵が先かということをテーマにした。

鶏が先か卵が先かという話は色々な方面から研究されているようだが仏教の考え方が面白い。

「循環的時間」という観念があり、それは時間は循環しており、歴史は繰り返されるという考えだという。

 

時間が永遠に繰り返されるとするならば、その永遠性において「最初」は存在せず、想像もない。何者も最初たりえない。

 

ということらしい。最初は存在しないということで卵と鶏のどちらが先かというテーゼ自体を否定しているわけだが、それはそれで面白くないだろう。が、時間が循環するという考え方は非常に面白い。

失われた時を求めて生きていくことは自分の尻尾を噛んで離さないでくるくる廻っている蛇のようなものだろう。

 

今年はこんなことでもちょこちょことこのブログに書いて、情報を発信する行為を続けていこうと思う。

そしてArchidanceの作品を作って発表していこう。

 

 

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