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夢に出てくる女はいつも顔がない

記憶力が悪いものだからあらゆるものを携帯電話のメモ帳に残しておく。それを書いたことを忘れた頃に再び見返すとそのメモを書いた当時の状況や環境が以外にも非常に鮮やかに浮かび上がる。しかし、書いたメモ自体の内容は記憶やイメージと必ずしも一致するわけではないようだ。つまり、この行為は言葉やフレーズという依代を借りてその時々の瞬間、経験を冷凍保存しようとしていることなのかもしれない。

さて、夢に出てくる女にいつも顔がないのは、経験や過去の人物が時を経て抽象化された総合体として表出するのが夢だとして、この顔のない女たちに現在や未来を当てはめる作業をすることが面白い遊びだと思える。これは自己の反映に過ぎず、理想の女だからこそそこには顔がないということなのかもしれない。

これまで、現在(過去)の延長としての現在に生きていたが、過去は現在(現在)の過去として成立していることに気づいた。つまり過去の延長に生きていた自分はいきなり現在に生きることとなった。ドラスティックな変化は身体にも影響を及ぼしている。

失われた時とはいつのことなのかと考えるが、それは現在に他ならないのではないかということにも気がついた。

幻想と自己満足の中で人は生きている。

過去の経験は理想とすり替わり、痛々しい記憶は甘美な宝石へと昇華する。

安っぽい自己満足の花がそこらじゅうで咲き、それを誰も彼もが愛撫している最低な春が熱烈な太陽と自己の発生と成長を抑えられない新芽達の登場によってそろそろ終わりを告げている。

現在に生きることとは何なのか、もう少し考えてみよう。

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