非常建築

01.01.2019

あけましておめでとうございます。

一年があっという間に過ぎていった、という月並みな感想をもったが改めて月ごとに振り返ってみると色々な事があったのだと感心した。家族で今年の5大ニュースというものを公表し合うことをするのだが、個々人によって同じ経験をしていてもすっかり忘れていたり、逆にそれが一年のハイライトだったりすることを今回も感じた。そうして情報というか、経験というか、過去というか、話題を共有することで自分の記憶も引き出されてなかなか楽しいものだと思った。

 

冬休みの間に溜まっている積読(webの記事)を処理しようと思って最初に読み始めたのがYung Ho Changの記事だ。この人は中国の建築家の先頭を走っている人で非常建築という事務所をもっている。ハーバードやMITでも教鞭をとっていて、プリツカー賞の審査員も努めていた。

 

https://www.archdaily.com/908456/i-failed-to-be-an-artist-but-i-became-an-artistic-architect-interview-with-yung-ho-chang-of-atelier-fcjz?ad_medium=widget&ad_name=navigation-next

 

彼は建築がtangible(触れられる)こと、人生を楽しむためのものであること、建物だけが建築でないということを大切にしている。

最近の中国の建築の陳腐さ(伝統や歴史を参照した良いプロジェクトと最新技術に頼ったプロジェクトに二分される最近のトレンド)に危惧し、それは開発のスピードが早すぎることと、おめでたいメディアが建築に対して批判的になる気を逸らしている為であり、良い建物の作り方は多くの建築家が知っているので、それをこえる冒険をしてほしい、というようなことを言っている。

これは日本の建築業界でも全く同じだと思う。新建築に掲載されている住宅作品を見てもほとんどの作品が「良い建築」でそこに建築家の確固とした信念や闘いが現れていない。自戒含め。

とはいえそのような良い建築をそのまま全部否定して小難しい建築が良いと言っていいわけではないだろう。

 

マルセル・デュシャンやマレーヴィチに多大に影響を受けているという彼は形態の操作がうまいわけではなく、コンセプトを面白くしようとしてきた。今は絵画の手法を建築に応用できないかと考えているという。

アーティストにはなれなかったが、アーティスティックな建築家になった、という彼の言葉は最高の自己紹介だろう。

 

彼の垂直のガラスの家はミースのファンズワース邸やフィリップ・ジョンソンのグラスハウスを90°回転させてしまったものだ。壁が透明であることで一人でその空間を楽しむものである、という形式を応用し、この作品では水平面をすべて透明にして空から地面までをつなげてしまった。

Liu Lingという3世紀頃の竹林の七賢の一人の詩人は個人の自由と自発性、自然を礼賛し、普段から裸で歩き回っていたという。そして、「空と地面が私の建築で、家が私の衣服だ」と周囲の人に語っていたという。彼こそがこの垂直のガラスの家の住人にふさわしいと言っている。

確かにこんなとんでもない家に住めるのはそんな詩人くらいだろう、と言ってしまうのは簡単だが、この作品には閉じて開く系の真髄が詰まっているようだ。しかもそれは一人のための空間。

白井晟一の自邸とはまた異なるもので、むやみに街に開きたがる最近の日本の建築作品に一石を投じる批評的な視点をもっているといえるのではないだろうか。

 

 

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