愛、あるいは関係の持続性について

15.04.2019

リニューアルオープンした東京都現代美術館に行ってきた。

学生の時から憧れていた舟越桂の作品に会えたり、ヤノベケンジや名和晃平、横尾忠則、オノヨーコなどこれも学生時代に話題だった人たちの作品を一挙に見られてなんともミーハーだが楽しい時間であった。

その他にも多田美波の周波数37306505という作品がとてもかっこよかったり、朝倉摂の神話の廃墟(1)という作品や今井俊満の鯉のぼりという作品がポロックっぽいと思ったり、中原實という非常に器用な作家がいて家に帰って調べてみるとその人は歯科医だったことがわかったり、創作の刺激を受けたのでした。

清澄白河のブルーボトルコーヒーは未だに行列ができていた。

 

 

ちょっと前にアルヴァ・アアルト展を見てきた。

岡本太郎的な有機的形態と北欧デザインの違いは何なのだろうかと思った。

それはJean Hans Arpという作家の作品がいくつか展示されており、そこに見た形態が岡本太郎を思い出させた。色使いなどは全く違うし、誰もそこに相関関係は認めないかもしれないが、とにかくそう思ってしまったのだ。

ああいう曲線を描いてみたい。

 

 

そのちょっと前に青年団の「隣りにいても1人」をみた。

ある朝目覚めると夫婦になっていたという2人。それぞれの姉と兄は現実の夫婦で子供もいるが最近うまくいっておらず離婚目前というさなかにこの珍事件が起きた。

夫婦というものは何なのか。

どうして2人は一緒にいなければならないのか。

どうして2人はもう少しお互いを思いやって愛し合うことが出来ないのか。

朝目覚めると夫婦になっていた2人にはそのようなことは無いのか。

これから夫婦として生きていく2人の未来はどのようなものなのか。

愛、あるいは関係の持続性について普段よく考えていることをちょっと斜めから演劇作品に仕上げていて感服であった。

だが、この問題についての回答は示されているわけではないし、自分の中でもうじうじと考え続けていくのだろう。

未来を愛することは出来ないが、今を愛することはできるので、どんなときもそれを積み重ねていきたい。

 

 

更にそのちょっと前に青年団の「忠臣蔵OL編」をみた。

あの有名な忠臣蔵の舞台裏を、現代のOLに成り代わった登場人物たちによって描くという作品。

そもそも忠臣蔵ってどういうストーリー(史実)だったっけ?というところから始まってしまったレベルの低い鑑賞者であったのだが、日本的な合意形成の方法をまじまじと見せつけられ、あーこういう女いるというあるあるを楽しみながら、舞台の細かい演出にいちいち感動し、役者の顔が強烈に脳裏に焼き付いた。

とにかく面白い。笑える。楽しい。という快楽性が前面にありながら日本的なるものへの疑問というのか皮肉も投げられていて、今思い返してもその興奮が、まだ生々しく蘇る。

 

 

 

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