ネット世代的社会への戸惑い

08.12.2019

ベトナムを始めとする東南アジアではSNS依存が問題になっているが、自撮りを含めた写真映えする空間づくりにビジネスチャンスを見出す人たちがいる、という日経の記事を1,2年前に読んだ。

日本の地味な20代後半男性としては、SNSというのはなかなかやっかいなもので、特に自分からの投稿はせずに人の投稿を見ては、よくやるな〜とか思い、とはいえなにか重要な発表(特に仕事関連)があるときはちゃっかり投稿してしまうことに後ろめたさを感じたり、久しぶりに友達と会って写真を撮ったりしたのに誰もアップしないことに若干の物足りなさを感じたりしながらも毎日見るのをやめない、というくらいの付き合い方だった。(今も特に変わらないが)

 

ベトナムに来てからは、冒頭の記事が正しいということを日々経験している。

先週末に自転車でフラフラしていると細い路地に人がたくさん吸い込まれていくのでついていってみると、その先には農地が広がっており、その中にフラワーガーデンが複数あり、そこには美しいお花畑やフェイクの置物とかを背景にして写真撮影に高ずる人たち(主に女性だが、年齢層はさまざま)がごまんといた。

ちょっと郊外的な立地ということもあり、あまりイケてる人がいなかった。そして少なからず存在していた男性陣はみな、百貨店の入口あたりで大量の紙袋を持たされて手持ちぶさたしているおじさん、というタイポロジーとほぼ一致していた。

これがもう少しイケている場所だと自分も喜んで自撮りしまくる美しい若者たちでいっぱいなのだろう。

まちなかを走っていても突如アオザイを着て美しくお化粧をした中年の女性が道端に花束を持って座り、中を眺めていることがある。最初に見たときは度肝を抜かれたが、彼女たちのカメラマンは道路の反対側からシャッターチャンスを伺っているのだ。天気の良い日にはこんな風景をそこらじゅうで見ることが出来る。

美しく着飾って写真をとることになんの問題も無いし、何も反対はしないが、その人達が役に入りきっている様子を見るのはちょっと滑稽で愛らしくもある。

問題があるとすれば美しくない人が自信満々の顔写真を惜しげもなくSNSにアップしまくることくらいだろう。

 

とはいえ、このようなことは今に始まったことでもないし、ベトナムだけの話では無いだろう。

みな、芸能人気取りで写真を撮ってはSNSにあげて喜んでいるのは世界共通だ。

以前両親の昔のアルバムを見せてもらった時に、どの写真でも母が完璧なモデルポーズをしていた。

時空を超えた文化

 

こっちで驚いたこと、そして全く理解できないことは携帯電話の待ち受け画面を自撮り写真にしている人たちが多くいることだ。

一体全体どういう気持で携帯の画面を開いているのか聞いてみたいものだ。

自分なんかは自分の顔をそんなに見せられたら困ってしまうし、そのうち携帯を開かなくなることだろう。

自己愛が強いというのか、自分のことしか考えていないというのか、そういう性質が無い限りそんなナルシストなことはできないだろう。ナルシスは水面に映る自分の顔の美しさに惹かれて眺め続けていたということだが、それと全く同じ話かといえばそうでもなく、それは彼あるいは彼女たちがナルシスのように飛び抜けて美しいわけではないからだ。

美しいものはなんでも許してしまうが、そうでないものは許せない。

 

このような性質は実際の社会生活にも大きな影を落としているといえるだろう。

一人ではいられないのでとにかく誰かと一緒にいようとしたがるものの、やっぱりいちばん好きなのは自分ちゃんだから半径1.5mくらいに知り合いが存在しているという状況を作り出して、そこで会話もなくSNSやゲームに熱中するというある種新しい肉体関係を持った新人類がここに誕生した。

これは果たしてネット世代的社会が生み出した新人類なのか、もともと人間はこんなものなのか、ということにここのところ悩み、思いを巡らしている。

それがわかったところでどうにかなる話ではないのだが。

 

この新人類たちが主役になる社会はどのようなものになるのか、古臭い自分には不安でいっぱいだ。

 

 

 

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