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こんな夢を見た

大学を卒業すると何故か幼稚園に入学することになる。

この世界では、大学を卒業した先の進学先として幼稚園がある。

現実世界の大学院のようなもの。

入学式に行くと変な幼稚園生のあの制服を着せられて行進している。

その時ばかりは体が小さくなっていたような気がする。

我々の行進は幼稚園より随分手前から道路際、というか車道を歩いているものだから車道から歩道に入るために曲がり角の部分で皆縁石を一段上がって幼稚園の校門の前にたどり着く。

道路には大量のバイクが行き交っているので行進をする我々は度々バイクに道を譲ってあげなければならない。大学を卒業したエリートなのだから、社会に対して正しい振る舞いをしなければならない、とでも言いたげな同級生の背中を見ていたが、我々の行進を見守っている大人たち(保護者か?近隣住民か?)たちもその姿を見て感心というか、満更でもない納得の表情を見せている。

この幼稚園はあくまで主体性、自律性を尊重するので道を譲ったことでバイクにハネられた生徒の心配とか手当を先生方は全くしない。

いつの間にか行進の最終にいた自分は集団から離れ一人になっていたのでバイクが何台か通り過ぎるのを待って、歩道に上がった。

だが、そのタイミングのせいで一人の白いワンピースを着た女の子は道路際に転がり(どういうアクションがその時に起こったかは不明だが)バイクに轢かれてしまう。

そして白いワンピースは泥水で台無しになってしまったので(ワンピースよりも身体の心配をしてあげられなかったのはどういう心境だったのだろうか)入学式に参加するのは絶望的だろう、とかわいそうに思っていた。

当然、先述の通り幼稚園の先生方はそれを隣で見ていたが彼女を助けることも、声をかけることもしなかった。(なんたる競争社会)

幼稚園の門をくぐると小さな園庭で子どもたちが走り回っている。(このときばかりは大学卒の我が同胞たちも子供心に戻っていたのか)

当然子どもたち同士がぶつかったり色々なアクシデントが同時多発的に起こっているが、そんなことは一切お構いなしで理事長先生を始め他の先生達は忙しそうに、でもにこやかに子どもたちを見ている。(この理事長先生は日本で本当にお世話になった本当の理事長先生で懐かしかった)

入学式が始まる前に、全寮制故、自分の部屋を探すことになる。

3階のはずなのだが、建物がとても入り組んでいて、ハリーポッターの動く階段の部屋みたいに木造の暗い長屋なのだが、階段があちこちに行ったり来たりしていて目的の部屋までに到着するまでに随分と手間取った。

そこには大学を卒業してこの幼稚園に入学する同胞たちが既に随分と疲れた様子で寝転がっていた。

みな男だった。

当然、同じ大学を出てこの幼稚園に入学しようとしている者もいるのでいくつか見覚えのある顔があった。

彼らの一部は既にこの異常な幼稚園の様子を見て既に別の幼稚園探しを進めていた。

その後、入学式という名の授業が始まった。

授業の内容はリベラルアーツで文学や古典、国語など自分が学びなおしたいと思っていたことを簡単な言葉で説明するとても良い授業だった。

隣りに座ったやつが何度も話しかけてきて鬱陶しかった。

彼は大学時代仲が良かった友達だったので無碍にすることができず半ばうなずきながら授業に参加しようとしていると理事長先生にすぐに気づかれ厳しく指導された。

その授業の厳しさをもってさらに多くの生徒がこの幼稚園を去ろうとしていた。

この時わかった。

この日、寮の部屋に入る前に子どもたちが校庭を走り回ってぶつかっているのににこにこしながらそれを眺めている理事長先生にご無沙汰の挨拶をしていたときに、なんとも宙ぶらりんな会話の末、会話の回答はこれ以上明確になることはない、というような内容のことを発言していたことを思い出した。(一体全体なにがわかったというのだろうか)

その後点呼が行われ、なぜかみんなでモノレールに乗っている。(何を隠そう、私はあの懸垂式モノレールで有名な千葉市で人生の大半を過ごしたのだ)

この幼稚園のルールではすべての駅で席から立ち上がり、一度下車しなければならない。

当然、多くの生徒達がのっているので一度下車したらそのモノレールに戻ることはしない。

まったくもって何故こんなことをするのかわからなかったが、もしかしたらこの幼稚園を去りたいものだけがモノレールに乗ってそのままどこかに行くことになるのかもしれない。(ドロップ・アウトする、という表現と全く逆の方向性で、去るのは随分と簡単なようだ)

その後また授業が始まった。

盛田くん(大学時代の友人)が隣りに座っていた。

鼻水が出るのでティッシュを借りようとすると足元にあったナプキンペーパーを使う。

二人してたくさん鼻をかんだ。

授業はまたしても古典。

そして教科書を手に輪読していた。

幸い自分の順番になる前に輪読が終了したので苦手な古典のよみで恥を晒すことがなかった。

当然廻りの同胞たちは大学を卒業して(おそらくみな文系出身だったのだろう)この幼稚園に入学しているのでこのような初歩的な古典の音読などは非常に簡単なことだったのだろう。

皆、古典の教科書を完璧に音読していた。

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