文明社会、脆弱

”香港の高校生は社会の崩壊を描いた英ノーベル賞作家ウィリアム・ゴールディングの小説「蠅の王」を授業で読む。しかし分断と暴力の地と化したこの都市の市⺠は今、誰しも文明社会がいかに脆弱かを直接学んでいる。”

”文明社会とは実は非常にもろいもので、その薄い表層を突き破ったところで責任は問われないことにデモ隊も警察も気付きつつある。その結果、かなりの暴力が許容され、凶悪行動が常態化している。SNS(交流サイト)で自分と同じ意見の人の主張を見 てさらに確信を深める「エコーチェンバー(共鳴室)現象」により、この傾向が一段と強まっている。 香港は(平均寿命、進学率、1人当たり国⺠総所得から算出される)国連の「人間開発指数(HDI)」で上位7番目に位置する。その香港で以前は考えられなかった行為が受け入れられようとしていることに衝撃を覚える。 香港がこうなるのなら同じことがどこで起きてもおかしくない。市⺠社会は事実上、一夜のうちに壊せるが、再建にはほぼ間違いなく何十年もかかる。”

先月の新聞記事の抜粋。

「[FT]香港の悲劇 どこにでも 2019/11/17 23:00 日本経済新聞 電子版」

恥ずかしながら蝿の王はまだ読んだことがない。

すぐ読もう。

文明社会がいかに脆弱であるか、ということは一連の香港の騒動で今回改めて感じている。

こんなことを思うのは最近「愛のむきだし」(図らずも2回目だった。なんか見たことあるような気がするけど多分CMとかだよな。だって4時間の映画を過去に見ていたら覚えているはずだもの、と思いながらずっと見ていた。)を見たからか。そして以前見た連合赤軍の映画を思い出したからか。それとも数あるSF映画のプロットを思い出したからか。そういえば東浩紀の動物化するポストモダンの話もそんなようなことが書いてあった気がする。

いずれにせよ、平穏に見えている文明社会が一夜にして(実際はそこまでドラマチックではないはずだが)動物的な社会になってしまうということには恐怖を覚えるし、自分がそんな状況に置かれたときにどのような立場をとってどのように振る舞うのかということを考えると普段の社会生活の細かい点まで心配になってくる。(多分普段の社会生活の反映として非日常時のキャラクターが形成されるだろうから)

どの時代においても、”文明社会”と呼ばれるものは高度な信頼関係の上に成り立っており、たとえそれを取り締まる法律や警察組織のようなものがあっても、やはり根底は目に見えない個々人の意識によって成立しているのである。

これは本当にどんな組織や人間関係にも共通することなので、それがいとも簡単に崩壊してしまうという事実の前には足を震わせていることしか出来ない。

とはいえ、ここベトナムではそのあたりの匙加減というか鷹揚さが個々人の意識の中(=社会)に共有されているので、少なくとも今日のベトナム(ハノイ)では香港のようなことは起こらないのではないか、と楽観的に考えている。

翻って日本は社会生活が高度化するに伴って人間同士の信頼関係や個々人の意識は希薄化、あるいは極端に先鋭化しているように感じるので、場合によっては一夜にして香港のような混沌に陥ることがあるのかもしれない。

いや、逆か。

日本は個々人の意識(=社会)が形骸化してきて、人間通しの関係性(=帰属意識=愛国心)が薄れてきているのでみんなで一緒の方向を向いて闘うということは起こりにくいだろうが、ベトナムはサッカーの試合ひとつで国中がお祭り騒ぎになるくらいだからみんなが同じ方向を向くことは容易い。

兎にも角にも戦争とか争いとか、そういうことはもうたくさんだ。

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