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Phu Quoc旅行から見えたベトナム

大きなプロジェクトが一段落した(実際のところ一段落どころか終わらせ方を見つけられない)ということで、社員旅行が企画された。

ボスは引き続き日本にいるので社員のみの旅行。

こっちは社員旅行というと家族同伴が基本なので、年上のスタッフの家族のキッズと仲良くなれたりする。その辺の関係構築はとても上手で、日本とは違うな〜といつも感心している。

さて、Phu Quocだ。もはやカンボジア以外のなにものでもないように見えるところにある南の島でハノイからは飛行機で2時間くらい。日本人にとっての沖縄みたいなものか。島は南北に長いが長手方向に50kmくらいなので4泊してもビーチスポットを回りきれないくらいだった。

社員旅行なのでチャーターカーで決められた旅程をこなしていくはずだったが、3日目から道を踏み外してしまい、バイクを借りて別行動をすることになった。結局4日目も5日目もずっとバイクで別行動をしていた。なんたる協調性の欠如。とまれ、そのおかげでほとんど無人のスポットを見つけて楽しむことができた。

このビーチというか、この場所には本当に誰もいなかった。桟橋の先には極遠浅の海が広がっていて、そこで泳ぐのも格別だった。

これがそのビーチ。水が透明で、ここは本当にベトナムか、という心持ち。

こんな泥道を10km以上走って島の北西側に行った。

途中で見かけた水上集落。学生時代に研究対象の選定で腑に落ちないものがあったのだが、これがまさにそれであったのだと思う。 しかるに、豊かな住環境を実現しているのか、あるいはただ単に我々が郷愁や憧憬を抱くバナキュラーな構法なのかということだ。今回見た集落たちの中には「現代の日本が見習うべき」豊かな住環境は見いだせなかった。仕方がないから、お金がないからこの生活を続けていて、そこに新しさや生活の知恵のようなものは(ぱっとみた感じ)無いようだった。

外部と連続した暮らしで、気密性を求めすぎる日本の住宅にはない豊かさがある、という単純な論点だけでは語れない。ゴミが溜まって淀んだ水はこの集落が生活の豊かさとは反対にいることを示しているようだった。

さて、この島は日本で言う沖縄みたいなところと書いたが、それ以上の勢いを持って開発が進んでいる。まだ島は開発の途上といったところでそこらじゅうで大型プロジェクトが動いている。先述の泥道に見られる通り、まだまだ整っていないのだ。だがしかし、だからこそ良いのだ。

スケッチアップのモデルをコピー・アンド・ペーストするのは中国の専売特許かとおもっていたが、ベトナムでは本当にどこに行ってもこのような景色に出くわす。信じられないほどの物件の量が、信じられないほどの金太郎飴っぷりを発揮している。その多くが建設中なのだが、Ha Long Bayで見た街は、このようなヨーロッパ風の建物に至極ローカルなテナントが入って、至極ローカルな生活の振る舞いをしているのでとにかく見栄えが悪かった。不法移民に占拠されてしまった新しい街といったところか。

このPhu Quocではどのような街に育っていくのかは楽しみなところだ。かなり冷ややかな視線ではあるが。

極めつけはこの夢の国だ。

バイクで雨の中走っているときに突如出現した中世ヨーロッパをグロテスクに並べたような街。いや、街ではなく壁。奥行きがないかわりに、この街は永遠1,2キロは続くのだ。ベトナム不動産大手、というかコングロマリット大手のVingroupのアミューズメントパークの塀代わりに作られた壁なのだ。だが、きちんと室内空間も存在しているのでテナントにして小売やレストランなどが入居するのだろう。しかしこの量は流石にさばききれないのではないか。。

なんというか全体の印象はとんでもなくグロテスクなのだが、一つ一つを分解して考えるとどれも素晴らしい。

・ただの金網で敷地を囲うのではなく世界観を保つどころか高める事のできる壁の街

・テーマパークの中を完全にその世界観に没入させるだけでなく、事前事後の世界観の共有を図る

・テナント収入が見込める壁

・世界のどこにもない、だけど中世ヨーロッパを想起させる意匠

・新築なのに100年前からそこにあったような外壁表現の技術

それでは、なぜこれがグロテスクに感じてしまうのか。

・そもそも南の島になぜ中世ヨーロッパ風のアミューズメントパークなのか。

そのひとつの質問に尽きるが、ここがベトナムの面白いところで、コンテクストやシークエンスというものは全く重要視されない。人々はバイクで移動して路上での生活を楽しんでいて、何もかもが連続的だが、それらが改めて意識されることはない。新しいものは新しいもので、何事もなかったかのように強制的に接続される。だがそれがおかしなことだとはあまり感じられない。なぜならその連続の結果が現在目にしている雑多な風景であるからだ。

以前、日本でバブル期などに観光地の開発がものすごい勢いで進んで、その後勢いをなくした観光地は寂れてしまい、廃墟化して平成の負の遺産を背負っている、という記事を読んだことがある。これは本当のことだろう。そういう悲しみを湛えたコンクリートをそこかしこで見た覚えがある。

当面の課題はこれらをどのように再活用あるいは終わらせていくのか、ということで、施設の維持費もバカにならないらしい。ホテルなどと違い区分所有の別荘は更に問題が根深いという。今回見てきた建物たちはどのような所有形式でどのように使われていくのかはわからないが、これらが将来日本のバブル開発と同じ轍を踏むことは確実だが、それを知っている自分は何が出来るだろうか。

ベトナムらしい、前向きな解決策ができればと思う。

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