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建築の著作権について

建築の著作権などというお硬いタイトルだが、こんなことを考えるに至ったのには2つの理由がある。

まず1つ目は、現在取り組んでいるプロジェクトで施主から、工事会社に図面を渡すときは絶対にコピーをしないこと、という誓約書を交わしたほうが良い、ということを言われたことだ。ベトナムでは図面さえあればすぐに別の場所で真似をして、あるいは全く同じものを作られるリスクが大きく、そんなことは設計料を払っている施主としても許せないし、頑張って設計した設計者としても許せないだろう、という趣旨のことを言われた。建築というものはその土地に合わせて作られるものであるから一つとして同じものは無い、という考えを持っていたし、日本で不動産に関わっていたときもそのような考え方があった。

だがしかし、以前このブログでも書いたように確かにこの国にはコピーアンドペーストがはびこっていて、その勢いはとどまるところを知らない。

2つ目は、以前(5年前)に中国の重慶に行ったときにちょっとした景勝地に建設の立て看板が出ていてシンガポールのマリーナベイサンズと瓜二つのパースを目にした。その度の前に中国の田舎の方を車の窓から見ていたときにザハのそっくりさんやマリオ・ボッタのそっくりさん(渋い)を見て、中国ではそんなことは当たり前さ、みたいな話を聞いていたこともあって、重慶という巨大都市のランドマークになるようなプロジェクトでもパクリで建築が建ってしまうのか、と恐れに似た感慨を覚えた。

だがしかし!先日ArchdailyにてMosche Safdieの作品として掲載されていたのだ。Safdie先生、大変失礼しました!

https://www.archdaily.com/943495/raffles-city-chongqing-safdie-architects

(川辺で泳いでいるおっさんたちの彼方に写っている写真はかなりエモい。西湖で泳いだり釣りをしているおっさんたち越しにロッテタワーを見るような感じ。)

ということで、大小スケールが異なるが同じ時期に建築の著作権について考えるきっかけがあった。

先述したとおり、建築は個々の敷地に建つため、たとえ隣り合っている紋切り型の敷地形状でも、全く同じ解答(=設計)が出ては来ないはずだ。しかも日本ではたとえ似たような敷地条件だったとしても法規的に(主に斜線制限)微妙に各所の寸法を調整せざるを得なくなる。更にいうと、隣にある建物との関係性を考慮しても全く同じ建物が作られることはありえないはずなのだ。

しかし、それは設計者側の論理で、施工者やインベスターの論理では同じものは簡単で早い、そしてそのデザイン自体が優れていれば使う人はみなハッピー、という大円団になる。

近代の理論が勝利した結果が今私が見ているベトナムの姿だとすれば、数十年後には現代の理論、すなわち将来的には近現代と呼ばれる理論をベースにした都市が出来上がっている可能性がある。それはとても楽しみだし、期待できる。なぜならベトナムには日本よりも強い力でオリジナリティを希求する姿を感じられるからだ。近代の強烈なパワーに打ち負けないように、自分自身も世のため人のために良い設計をしていきたい。

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