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5年、10年

ベトナムに来てもうすぐ5年

日本で働いていたのも5年

この10年間はどういう期間だったか。

この10年を通してどういう変化があったか。

5年ごとに区切って考えてみたい。



2014−2019


大学院を卒業して仕事を始めたが、他の人とは異なり、エウレカと京葉エステートでのバイト、そこに大学の研究員の第三の軸を設けてみた。

エウレカのバイトは半年だけだったが今でもあのときに経験したことは建築家としての考え方や建築家としての働き方に関して多大な影響を残している。それは肯定的なものでも否定的なものでもある。

大学の研究員の軸はあっという間に興味が失せていった。それはいまでも同じ考えが支配しているが、仕事をして現実の建築を作れるようになるとアカデミックで行う調査や研究が一気にバカバカしくなってしまったのだ。

エステートでのバイトは最初は退屈だったが、自分で事業を作り出したり、建築の設計だけではなく施工監理と管理、自分自身で施工までも体験して文句を言いながらも楽しんでいたのだろう。そして、日々精一杯やっていたのだと思う。

何より、自分がイニシアティブを握ってどんどん物事を動かそうとしていく姿勢を実体験で養っていた時期だった。


私生活では2年程度付き合った彼女と別れて辛い日々を過ごしたのも覚えている。

会社の休みが他の人と異なることもあり、大学時代の友人づきあいは一気に薄まり、休日に誰かと何かをすることも殆どなくなった。大学時代に見ていたさまざまな文化系の映画も見られなくなり、疲れていたのでくだらない映画やテレビを見ていた。あとは、一人で気絶するまで酒を飲んでいたり。全く健康的ではなかった。精神的にも肉体的にも。

とはいえ、いくつかの素敵な出会いもあった。結局どれも自分のせいで破滅してしまったが。

そもそも彼女と別れたのは(今となっては母の意見を100%信じているが)海外に行きたいとずっと言っていたからで、そんな自分に将来を見限った彼女は正解だった。

そしてようやくベトナムに行くことになった。




2019−2024


二人の祖母が亡くなった。

Lyちゃんと出会い、結婚し、妊娠した。

ベトナムからアフリカに行きたいと思うようになった。

生活が人生になってきた。

仕事は大小沢山のプロジェクトに携わり、多くの賞を受賞した。

建築の設計というものについて猜疑心が大きくなった。

文化レベルは更に激落ちした。



海外で暮らすことは初めてではなかったが、今でもなんとスムーズに5年という歳月が経ったことか、と冷静に考えて驚く。

なんで結婚しないのかとか、タインホアの女性は良くないとか、知り合って間もない人やタクシー運転者に天気のように自分の人生に対してあれこれ言われることに苛立っていたが、全体的にはオープンで寛容、というか不干渉、無関心というか、なんでも許容してしまう器の大きい社会が自分には合っているのかもしれない。日本にいてもそんなに息苦しいと感じたことはなかったが、ベトナムに来てからは、以外にも自由でなかったことが分かったりした。まあ、言語的な問題でよく分かっていないから流してしまっているのも大いにあるだろう。

Lyちゃんとの出会いと付き合いは運命というか、必然のようなものであったと今振り返ると思われる。夜遅くにビールを飲みに行った店の店長が美人で一目惚れしてから通うようになり、もちろんたくさんの困難はあったのだが、シナリオ的には想定されていた内容、というかクリアできることを前提に作られていたゲームの主人公だった、というような見立てができなくもない。時々彼女の顔を見て、おぉ、自分の妻はこんなにも外人だったか?なんて思う瞬間もあるのだが、この二人は人生をともにするようにすでに筋書きが書かれていたように感じるのだ。

同棲をしてからはすでに3年近く経っているので、一人暮らしをしていた期間は以外にも2年近くだけだったことになる。

最初の家ではコロナの最初期の隔離を経験したが、あのときは借りぐらしだったので、荷物も少なく、所有物はなく、旅行者の延長だった。次の家ではシェアキッチンやシェアバスルームで英語教師たちと暮らして楽しく過ごせるかと思いきや、大家の都合で2ヶ月近くで追い出されてしまった。3軒目の家に移ってからは魚を飼い始めたり、植物を育て始めたり、料理をしたり、徐々にハノイに根を張り始め、生活が人生になってきていると感じていた。当然同棲をしてからはそれは加速していった。恐れているのは、このまま生活が人生の全てになってしまうことだが、子供が生まれてくることを考えるとそれもそれでまた新しいフェーズなのかとも思っている。

そして、このベトナムでの生活がアフリカに移動するのか、日本に移動するのかはたまた別の場所に動くのかはわからないが、生きることを愛することができるような人生を送りたいと考えている。




仕事の話をすると、180度とは言わなくとも90度くらい仕事の性質が変わった。とはいえ、キャリア初期に体験した5年間はまさに「すずめ百まで踊りを忘れず」でデザインへの希望と猜疑心の狭間で揺れ動いている。どこまで自分の能力が向上したかは、実のところ曖昧ではあるので棚卸しをしてみよう。


ソフトウェアに関して言うとRevitもRhinoもGrasshopperも使いこなせるようになっているので非常に大きな進歩があった。世界中どこにいっても通用するような基礎はできたので、より高レベルな能力を手に入れられるように磨いていきたい。


マネージメントは苦しんだ。子供の頃からリーダーの経験はたくさんあるのだが、結局あまり良きリーダーの手本となるような人から学んだ経験が少ないことが最大の原因だと思っている。エステート時代は一人で仕事をしていたし、大学時代にはたくさんの優秀な人達と共に過ごしたが、留学していたこともありそこまで吸収できなかった。古谷さんや社長はボスだったのでリーダーとはちょっと違う。ラカトン時代の直属の上司は新卒でマネージメントよりも自分のことで精一杯という感じだった。他の人達とも働いたがそこまで深い付き合いはなかった。高校時代はテニス部でリーダーシップを遺憾なく発揮していたが、このときも先輩はほとんど存在しないなかで自分たちで道を見つけていく旅だった。中学時代には素晴らしい先輩たちに恵まれたが、流石にちょっと古すぎる記憶だ。

そんな中途半端リーダーが小さいながらも国籍の異なるメンバーを束ねる役を担わなければならないのだから手探りで、いつもうまくいかなかった。ようやく光が見えてきたのは何人かのポジティブで元気のある若いメンバーと一緒に仕事をするようになったつい半年程度だ。チームに委ねることと自分でやることのバランス、そして管理することと責任をどのように分担するか、全くもって正解が見つけられていないが、少なくとも直近の仕事ぶりには双方向的にポジティブな感覚が得られている。

中間管理職なので、頻繁に嫌になるのだが、これも将来への投資と考えてできるだけ多くの経験を積んで、どんどんパワーアップしていきたい。


デザインに関して。ランドスケープや橋、内装など様々なプロジェクトを通してデザインの経験値は圧倒的に上がった。だが、自分がどこまでやったのか、自分のデザインとは何なのかということを考えると必ずしも自信を持てない。消費されるデザイン、長期的な視点に欠けるデザイン、サステイナブルでないデザイン、表面的なデザイン、コンセプトなきデザイン、コスト感覚なきデザインなど、カタチを追求するがゆえに見えてきた世界は必ずしも明るくないのだが、今後の自分の設計活動に対してより多くの気付きとポテンシャルを与えてくれている。10年も建築設計の仕事をしているのに、いまだにデザインすることの意味を疑いながら続けている。建築家としての思想をどのように持つか、表現するかを考え続けるのは最も重要なので、今後はデザインが経済に与える影響と効率的なデザイン投資について研究を進めていきたい。とはいえ、ひとつの職種にとどまり続けるのは何でもやってみたい自分の性格からするとつまらないので、いつか建築設計から離れてもいいとも思っている。




文化レベルは大学院卒業後の5年でだいぶ落ちたのだが、ハノイの5年で更に激落ちした。

積ん読になっていた本はゆっくりではあるがちょこちょこ読むようにしているが、映画はNetflixのアクション映画ばかり(これはLyちゃんの責任が8割)で文化的に価値のあるような映画は久しく見ていない。美術展はおろか美術館にすらいかない日々。音楽や演劇、ダンスなども全く触れることがない。この点で東京やパリという大都市の素晴らしさには感嘆するばかりだし、どの市町村にも近現代美術館があっておそらくどの県にもピカソやルノワールがあるであろう日本の豊かさは凄まじい。

アフリカに行ったらこの文化レベルの激落ちは更に加速化することが予想される。

一つチャレンジできるのは文化を受け取る側から発信する側に自分自身を転換することだ。発信する側になったら更にインプットをしなければならないのは確かだが、立場が変われば見える景色もだいぶ変わってくることだろう。

文化とは知性だと思うので、いろいろな切り口から文化を吸収していきたい。

ハノイというまちはインスタントだという考察をしたのは成田空港からハノイの激安ホテルに到着したばかりの2019年の4月15日の夜だった。今でも同じ視点で日々都市を見て、経験しているが、愛情や感動は薄まり発見や気付きは無くなっていくばかりだ。

そろそろ新しい場所に移ってもいいのかもしれない。あるいは都市に対する見方をアップデートしたほうがいいのかもしれない。



ハノイらしい曇り空の日曜日、カフェのテラス席で忙しない交通と、ジャックフルーツと、公園と、ちょこっとだけWest lakeを見ながら。




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