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人生の転機における私を取り巻く様々な感情 ①

ひどい風邪をこじらせている。

義理の母が面倒を見てくれるが何かと鬱陶しい。

義理の姉が面倒を見てくれるも何かと喧しい。

オフィシャルに退職した。

娘が生まれた。

妻は出産に耐えられないかもしれないと言っている。

自分の送別会の後に同僚が事故で亡くなった。

試験にまたしても失敗した。

会社をやめることにした。


フランス人の友人に子供が生まれた時、メッセージをくれた彼らはWe are on the moonと表現していた。あぁ、自分にも子供ができたらそんな素敵な感情を持てるのかな、楽しみだな、なんて思っていたが、実際のところは全く様相が違っていた。


予定日一日前の土曜日に定期検診で病院に行ったら念の為入院しましょうとのこと。

それでも子宮口が全く開いてこないので、他の妊婦さんがつらそうな表情をしている傍ら我々は随分楽しげに飲み食いしていた。日曜日の午後になって急展開。家に一旦帰っていたところに電話でドクターが話したいから早く病院に帰ってきてくれと言っている。病院に戻ると痛み止めの使用に関する承諾のサインをした。無痛分娩にしておけと随分前から言っていたのだが、こっちでは痛み止めはその場で使用するかどうかを決める事になっているようだ。最近懐事情が怪しいものだから、この痛み止めの支払は実はドキドキであった。


その後、分娩室に入っているリーちゃんとは会えないし、看護士から名前を呼ばれるまでは何の情報も得られないので落ち着いて本を読んでいた。ちなみに、土曜日から読んでいたヘミングウェイの短編集は(期待を裏切られた)読み終えて、ハクスリーのすばらしい新世界を読み始めていた。夜になってお義姉さんがタインホアからやってきた。しかも大量の野菜やら魚の入ったバカでかい段ボールとともに。全く、この期に及んでなんで食い物をわざわざ持ってこなければならないのか全く意味が不明で、しかもそれらを家に持って帰れとか病院にしまっておけとか言うものだから腹がたった。そんなものは必要ないのだ。でもそうは問屋が卸さない。結局段ボールはお義兄さんが引取、自分は大量の卵と大量の野菜が入ったビニール袋を受け取り、それらを赤面しながら病院のロッカーに入れた。


分娩エリアでリーちゃんが友だちになった年上の女性と会ったときに中に入ってリーちゃんに会いなよ、と言ってくれたので、え立入禁止なんじゃないの?と思いながら分娩エリアに入っていった。看護士からは予想通りだめだと言われたのだが、彼女が色々説明して粘ってくれたのでなんとか面会できることに。何分か待たされた後、分娩台に乗っているリーちゃんに会えた。涙ぐみながら心配だと言っている妻。普段の自分だったら泣いていただろう瞬間だったのだが、ここで自分が踏ん張らないといかんと思い彼女を励ました。痛み止めを使っているけど全く効かない。子宮口が開かない土曜日の時点で2cm、現状3cm)のでいつになったら生まれるかわからず、このままでは赤ちゃんが酸素不足で心拍数が弱まって心配だ、でも帝王切開はしたくない等々。自分の体に起こっていることではないし、経験もないので何も言えないが心配なら帝王切開しちゃいなよ、痛み止めが効いてないと言うけど何もなかったよりは絶対マシなはずだよ、頑張れ!とか言ってなんとか元気づけようとしたのだが、どれだけの効果があったのかは不明。

普段は元気な彼女がかなり憔悴していたし、血液の問題もあるし、たった今聞いた情報を鑑みるに、もしかしたら、とか考え始めると胸が締め付けられた。子どもと妻のどちらかを取るかという質問(誰にされたわけでもないが)には絶対的な自信を持って妻、と考えていたがこの瞬間には2つの命が目の前に浮かび、そんなにかんたんに選べないな、なんて思っていた。そして、もしああなったらとか色々と考えているとどんどん気が滅入ってきた。そんなときにお義姉さんが隣りにいて完全なる無表情というか全く何も考えていない、気にしていない様子を見てとても安心した。このときは本当にここにいてくれたことに感謝した。数時間後にその気持は1800度変わるのだが。。。


その後、母とメッセージをやり取りしたりして生まれてくるのは明日だろうね〜なんて言っていて気疲れもあって待合の消灯時間の22時過ぎには寝てしまった。23時前にLe Thi Lyのご家族の方〜というベトナム語のアナウンスを聞きガバっと起きてハイっと手をあげて看護士のいる方に走っていった。もしかしてLyちゃんになにかあったのか!?と急いで分娩室に入ろうとしたら赤ちゃんを抱えている看護士が笑いながらこっちですよと言っている。

え?生まれたの?え?これがおれの娘?え?リーちゃんは?大丈夫なの?

という感じで眠気眼の上に様々な疑問符が浮かび上がっているところに赤ちゃんを抱かされて、顔を見てもなんだかよくわからずボーッとしていた。嬉しいとか感動の涙とかそういうものは全く出てこなかった。とにかく呆然としていたというのが正しい表現か。赤ちゃんとお父さんの最初のふれあいルームという小さい部屋に入る前と後で近くにいた別の家族のおばちゃんがとっても嬉しそうにこんなにかわいい赤ちゃんはいないね、この子はとっても美人だよみたいなことを言っていて、あぁはい、みたいな返事をしたけどぼーっとしながらもなんでこのオバハンがおれより先におれの娘の顔を拝んでやがるんだよ、と思っていたのを思い出した。

そう、そもそもは出産に立ち会いたかったのだ。まずはリーちゃんを鼓舞したかったし、他のどこでも経験できないことだからぜひ、と思ってお願いしていたのだが、結局リーちゃんは自分の最も醜い瞬間を見せたくないということで却下されていた。あとから聞いた話によると痛くて痛くて何時間も泣き叫んでいたから喉が枯れて、医者には最後までエネルギーを取っておけと言われていたらしい。会陰切開の縫合はマジで痛すぎて針と糸の動き全てが感じられたらしい。そして後日うんちができないから肛門まで塞がれたのかと思ったと語っていました。さて、赤ちゃんを抱かされた後は写真撮影でもあるのかと思いきやほんの十秒くらいで終わり、早々と次の部屋に赤ちゃんは送り込まれましたとさ。そのときに看護士にリーちゃんは大丈夫かと聞いて大丈夫と言っていたのでそのときに初めてようやく一安心した。ビタミンKの投与に承諾をしてしばらくしたらリーちゃんが分娩室から出てきて一時休息室に。すでに二人のお母さんと赤ちゃんがいる大部屋で看護士の監督のもと数時間休息することに。お義姉さんが面倒を見るからあんたは寝てなさいということで自分は仮眠を取る。意外なことに、リーちゃんは痛みが酷いのか嬉しそうでもなんでもなく、赤ちゃんのことはあまり見ようともしない。こっちもまだおとぼけ状態なので何をどうしたらいいかわからないし、何にどういう感情を持てばいいのかもわからなかった。


朝4時半頃お義姉さんに起こされてどこかに移動するよ、と言われる。お義姉さんのトイレを待つ間に自分も長い小便を済ませたらお義姉さんも荷物も跡形もなく消えていた。6階って言ってたような気がするな、と思いとりあえず5階をグルっと回ってから6階に向かう。ちなみにここまでお義兄さんやお義姉さんや看護士やお友達やらと一丁前に話しているが、アタシのベトナム語はTOEICでいったら250点くらいのものでなんとか知っている単語から会話の内容を予測して、非常に限られた単語とめちゃくちゃな発音で喋っているのでとんでもなく交換できる情報量が少ないのだ。そしてそれはものすごくストレスになるはずなのだが、もはや慣れっこなので言語的なストレスはもはやあまり感じていないが事実として情報量はめちゃくちゃ少ないし、正しいかどうかも全くわからないのだ。6階に上がるとエレベーターホールと向こうを隔てるガラスドア。開かない。ベルを鳴らす。開かない。ベルを鳴らす。おばさんが怒ってやってくる。妻がここにいるんです。妻はどこですか?は?お前は何を言っているんだ?ここは開けない、出ていけ!みたいなやり取りがあって憤然としながら計画を練り直すために5階に降りる。数時間前に見た看護士のおばちゃんがいるので妻はどこですかと聞き、部屋番号を聞き出すことに成功。6階に戻り再びトライ。また怒られながら今回は名前と室番号を伝えているのでちょっと対応が違うが何を言っているのかわからない。あ!お義姉さんが歩いている!お〜い!こっちだよ〜!無視。おばちゃんに食い下がっていると部屋まで言ってお義姉さんを呼んできてくれた。お義姉さんに入れてくれというと笑いながらあんたはダメだ6時半に戻ってきな。じゃあなんでお義姉さんは入れるんだよ?笑いながら一人だけしか入れないと言って出直してこいと言う。怒りに肩が震え最後まで会話を続けることなく私は5階に降りていくのだった。ありえないほど腹がたった。そもそもおれの妻、おれの娘だぞ。その二人に会えないとは何事だと。そしてそれをあざ笑うあの糞女!普通だったらごめんね病院の規則で一人しか入れないから先に来たアタシが付き添いすることになっちゃったの、置いていってしまってごめんなさいね急いでいたから、明日の朝6時半には入れるようになるから少し休んでいてね。これを言ってくれれば、あ、そうですかよろしくおねがいします。と言って多少疑問符が浮かびながらも二時間後を楽しみにできたというものを。ま、これは過ぎ去ったことだしここに供養して怒りとはおさらばしよう。


睡眠欲は旺盛で怒り心頭だったにも関わらず4時半から6時半までしっかり寝てついに6階デビュー。この病院はサービスもしっかりしていてまあまあ高級なのだが個室がないので別のお母さん赤ちゃん+おばあちゃんグループと同室。こっちのお母さんは二回目なのかかなり落ち着いていて痛そうだったり疲れていそうだったりするのだが、とにかく余裕しゃくしゃくだった。以外に赤ちゃんにはあまり興味がなさそうだった。その後ようやく落ち着いた状態で娘の顔を見る。ん〜全然妻には似ておらず、甥っ子が赤ちゃんだったときにそっくり。その甥っ子が赤ちゃんのときは自分の赤ちゃんのときにそっくりと言っていた。つまり、かなり自分寄りの顔なのだ。かわいいのはかわいいが、ちょっと期待はずれのような。そんなことを考えながら赤ちゃんのことをじーっと見ているとお義姉さんに怒鳴られる。アンタ何を見てるのよそんなに見てたらなんとかかんとか言われて、ハ?何だと?黙れ!とか思っていたけどぐっとこらえて写真を撮ろうとしたらまた怒鳴られる。リーちゃんいわくまだ小さすぎて写真を撮ってはいけないという。どんだけバカバカしいことを言っているのかわかってんのかこの田舎モノ!とブチギレそうになるも、まああとで隠し撮りすればいいやと言ってその場は引き下がる。全く、娘の写真を撮るのに盗撮をしなければならないとはどんな境遇なんだ!そうこうしているとお義姉さんはバカでかい声で電話をしている。そう、この田舎モノたちはとにかく声がデカくてデリカシーがない。そのうちビデオ電話で赤ちゃんの間近まで携帯を持ってきて親戚と話している。あれ?さっき写真はだめって言ってませんでした?ビデオ通話は言いそうです。意味不明。念の為もう一度言っておこう。意味不明。


デリカシーの無さに関してはベトナム全土で同じなのだが、このときに気付いたことがある。お世辞にも広いとは言えない(充分快適ではある)病室で電話口にバカでかい声で全く関係のない話をしていたり、おれのことを怒鳴ったりしていても同室の人達は眉一つ動かしていないのだ。例えば向こうの赤ちゃんが泣き止んでようやく落ちついて一眠りできるな〜みたいな瞬間にこっちが大声で話していても全く気にしていないようだった。自分だったら憎んでいてもおかしくないのに向こうのおばあちゃんは経験豊富なので何かと教えてくれたり、助けてくれたりした。そもそもデリカシーという考え方自体がないのか。そして隣人のことであまりストレスを感じたりしない(しにくい)のだろうから個室の必要もなく、助け合う事ができるからニコイチ個室スタイルを取っているのかなあなんて考えた。


そんなこんなで一挙手一投足に対して怒鳴られて娘の顔をじっくり見られないし、写真も撮れないのでストレスは溜まる一方。娘の顔を見ようとしていると妻にはアタシのことは見ないのかと怒られる始末。そんなときに色んな人からメッセージで妻を労ってあげなさいと。確かにおお仕事を終えた彼女に対して何もしてあげられていないし、赤ちゃんのことばかり見ていて悪かったなと思い、こういうときに友人や家族からもらえるアドバイスというのはとても有益なものだと思ったり。


24時間後には隣のお母さんは退院していった。なんという強さ!

こちらは尿管に問題がありということでカテーテルをつなげて数日様子を見ることに。はあ、助かった。ベトナムでは24時間後に病院を追い出されるのが通例で、もれなく契約したパッケージもそうなっていた。人気の辰年で出産数が多いので忙しくて追加料金を払っても延泊できなくなる可能性があると言われていたが、できるだけ長いあいだ病院で面倒を見てもらえたほうが母も子も安心なので不幸中の幸いと行ったところだった。ベトナムでは赤ちゃんは同室なのでお母さんも気が休まることなく、同伴の人と一緒に自分の回復と同時に赤ちゃんの面倒を見続けなければならない。ナースステーションに行くとタオルを即交換してくれてミルクもすぐに作ってくれるし、朝に一回沐浴、その他診断をしてくれる。結局一週間弱入院していたが追加料金は5万円くらいで済んだ。


次の日には早速日本から飛んできた両親との面会、その次の日にはお義姉さんが故郷に帰り、ようやく3人の家族水入らずの時間がやってきた。幸せだった。だがそれもつかの間私はひどい喉の痛みと鼻水マンとなり病原菌扱いされマスクと消毒生活を余儀なくされることになる。





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