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久しぶりの旅② プノンペン

陸路国境をバスで渡る。

事前の下調べもろくにしていなかったので、カンボジア入国にビザが必要だとは知らなかった。

バス会社が手配してくれるとのことだったので、手持ちの現金をUSDに換金(100ドル)、ビザの費用が40ドルなので60ドルで二泊三日過ごすことになる。宿もとってあるし、カードが使えるから十分だろう。

だが、そんなにお金の事情は甘くはなかった。う

閑話休題。国境は高速の入口みたいな感じででっかいゲートときっぷきりのレーンみたいなのがあり、その先に小さな建物(ベトナム側の出国手続き用。帰ってくるときは入国手続き用なのだろうが、それは別のレーンにあったようだ)。

そもそも、このバスの出発に際して人が乗ったり降りたりして、そのうち鶏を載せたかごが運ばれてコッコッコッと言っていた。西洋人の女性が2人、ビジネスマンらしくひっきりなしに電話対応しているインド人と、妻と電話しているこちらもインド人、そして私日本人、その他ベトナム人が5,6人といった仲間たちのはずだったのだが、バスを降りて出国手続きのためのカウンターに並んでいるときから選別されて、その建物を出たときには仲間の外人二人はいなくなっていた。そうか、ボーダー・ランだったのだ。

バスの運転手じゃない方(あれはなんて呼べばいいんだっけ?ガイドさんでもなく、きっぷの確認とドライバーの世話をするような仕事。今となっては日本のバスではお目にかけないけど小さいときにはいたような気がする。当然ベトナムでは市内バスにも旅客バスにも必ずいる)がもろもろを取り仕切っていて、彼にパスポートを預けていたので、担当監査官が名前を読んでパスポートを返してくれるのだが、自分はTRCを渡し忘れていたので最後になり、ガイドのお兄さんの後ろを追ってそこを離れた。建物を出てすぐのところにテーブルと椅子があり、そこのテーブルにおいてあったファイルにお金を無造作に入れている姿を目撃した。そのあと、近くにいた警官にお金はいつものところに入れておきました、肩ぽんぽんみたいな感じで僕たちは立ち去った。

さて、その後先に進むように言われたのだがまたしてもETCきっぷきりボックスのような建物がいくつかあるだけでどこまで歩いていけばいいのかわからなかった。周りの乗客も同様で迷える子羊たちよろしくうろうろきょろきょろしていたら、バスが現れて乗れという。

あれ、でもパスポート持ってないんですけど、という顔をしていたのは皆同じだった。出国をしたあとにまたお兄さんにパスポートを預けていたのだった。あ、でもこれからバスに乗ってあの先のゲートをくぐってその後また同じような手続きがカンボジア側であるのだろうと思ったのも皆同じだったはずだ。

だが、予想を裏切ってバスはどんどんスピードを上げてカンボジアに突入し、しばらく止まることはなかった。はぁ、これだから陸路は嫌なんだよな、でもまさか全員のパスポートが取られて我々をそのままプノンペンまで連れていくわけではあるまい、と思っていたら急にUターンする。あれ、まさかパスポート忘れてたのに気づいたのか?と思ったら昼飯休憩だった。

あ、これはぼられるやつかなと思いながらもカンボジア初の食事を楽しむべく勇んで食堂に入り、定食を食べた。コムビンザンと同じなのだが、ワンプレートでなくおかずごとに皿を分けて提供されるので一人だと不利に働くようだ。味も米もほぼベトナムと同じだったが、100USDしか持っていなかったので70k VNDを支払った。高い。だが、、まあ仕方あるまい。

バスに乗るように促されて全員着席すると先程のビジネスマンインド人がパスポートのことを聞く。心配するな、みたいなやり取りのあとにパスポートが返却された。無事ビザもついていた。

お兄さんに40USDの借りができた。その後何度か立ち寄ったストップの店のひとつでようやく100USDを受け取ってもらえた。


バスの車窓から見る景色はベトナムのそれとは異なっていた。

この時期であればどこでもライスフィールドが緑色に燦々としているはずなのだがどうにもずーっと乾いたランドスケープが続いていた。家は田舎ということもあってか立ち込んでおらず、タイの研究対象だった集落のように、高床式で周囲に庭があり、そのうちのいくつかは三角屋根が連続するような作りで、前室・主室・オルター等の棟が別れている作りのようだった。

普段は3,4,5,6階建てで隙間なく真四角に立ち上がる住居群を見ているので、これはなかなかフレッシュな気分だったし、各住居にデザイン上の違いが見られたので飽きずに見ていられた。

すべてのガソリンスタンドの屋根の角がアルミの合板できれいにフィレットされているのを見て、ガソリンスタンドってそんなもんかなと思っていたら、多くの、というかほぼすべての住居の屋根も同じように先端がフィレットされていた。当然雨樋はついておらず、垂れ流しなのだがフィレットされた屋根の端から流れる滝は多少マイルドなのではないかと感じさせた。

いくつかの住居の屋根はこのフィレット屋根を延長させてピロティ空間を作り出していたり、上階のバルコニーに屋根をかけたりしていたのだが、その様がエクステンデッドきのこという感じでとてもかわいかったので写真を取りたかったがなかなか難しかった。


朝サイゴンを出発したバスは7時間後にプノンペンに到着した。

バスを降りると驚きの暑さだ。午後4時だったが、灼熱と言っても差し支えないような暑さであった。

ホテルまでの道すがら、バス降車場近くのオリンピックスタジオによってから独立記念塔を見て行こうと思っていたが、あまりの暑さにオリンピックスタジオはスキップすることとした。

今回の旅ではエセバックパッカーがテーマでもあったので、カンボジアのSIMは使わず、そのためネットで地図も調べ物もできない。だが、プノンペンの街は碁盤の目状に道路がきれいに通っているので事前に調べておけばどこに行くのも簡単で、宿にたどり着くのも難しいことではなかった。

33時間の電車旅行中にも食べる機会がなかったりんごはこの徒歩中に一気にかじり尽くした。


案外たくさん情報を盛り込んでしまったので、建築の話は次回に回そう。


その前に人の話を書いておこう。

カンボジア人は黒い!かなり黒い。

男はちょび髭をみなはやしており(労働者からビジネスマンまでみんな!)インド人のように肌が黒いのだがひげはアジア人のそれなので、あまりもじゃもじゃというわけではない。

女性は実に美しい。ベトナム人の多くがきれいな二重のパッチリお目々をしていてもマスクを外すとカエル鼻で幻滅するというのはよくある話なのだが、カンボジア人の鼻はなんの記憶にも残らない、高くも低くもなく、細くも太くもない、つまり日本人のそれと近いのかもしれない。だが、目の美しさは抜群で、二重まぶたの下にはきらきらと輝く、本当に日の焼け方と肌の色とのコントラストなのかもしれないが、輝いて見えるのだった。

そして、彼らは感じが良い。そもそもバイクや車からホーンの音は聞こえた試しが無いし、(その点ベトナム人は経済成長に踊らされて、ちょっと調子に乗りすぎているのではないか、という疑問も浮かんできた。)目が合うとニコリとしてくれるのである!そんな感じの良い人達の国に来るのは久しぶりすぎて、まちなかで人と目があって微笑みを受けるたびに私の小さなハートは喜びに喘いでいた。

たった3日の滞在で何がわかるのか、というところかもしれないが4年住んでいるハノイではついぞ体験したことのない状況と感情が一挙に押し寄せてきたのは確かである。ああ、旅をしてよかったな、と思う瞬間であった。


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