ハノイオペラハウス

先日ハノイのオペラハウスに初めて訪れ、クラシックのコンサートを聴いてきた。

「パリのガルニエにそっくりで、東洋のパリ・ハノイの象徴」と物の本には書かれている。

Trang Tien通りの突き当り、アイストップであり、複数の道路の交差点に位置しているので観光客を含め常時人が集まっている印象がある。これまでは前を自転車で通り過ぎていただけだったが、いつでも大階段に人がたむろしていた。日中は暑いので長居をするわけではないのだろうが、日が暮れた後はいい風が吹いていたりすると、階段に座ってチルっているひとがたくさんいる。この使われ方はとても豊かだし、建築が都市と人々に愛されているように感じられる。

建築に関しては立派な外観に呼応するような荘厳なホワイエ、大階段があり、舞台空間はかなり狭そうに見えたが、客席の装飾や座席の手すりのディテールなども古典とアール・ヌーヴォーがぶつかったようなものになっていてなかなか見ごたえがあった。

シューボックス型の劇場は最近見たクリムトのthe old burg theaterを思い出させた。

この絵画は人物描写が異様なディテールでなされており、そのせいで(おそらく)人物と空間のプロポーションが狂っているし、それぞれの人物は確かに同じ劇場にいるのだが、別の場所で描かれた人たちをフォトショップで切り貼りしたようにも見える。

この絵のベトナムバージョンが描けたらとてもおもしろいだろう。

「フランスの植民地支配には劇場がつきものであり、ベトナムでもある程度の規模の都市ならば、ほぼ劇場がある」そうだ。

植民地支配という言葉はよく聞くし、世界が今はこんな状態だから植民地とか、支配とか、そういう言葉には若干無意識の抵抗感が発動してしまうが、植民地支配をした国のある程度の規模の都市にほぼ劇場を作ってしまうフランスのお国柄というのがなんとも面白くないだろうか。

もし自分が一国の統治者で、仮にベトナムを植民地支配していたとして各都市に劇場を作らせるだろうか。

政治や経済、インフラの整備だけではなく、食や文化を通して、支配という概念から啓蒙、統合、共有、のような姿を目指していたのかもしれない。

しかしながら、翻って現代のベトナム。

確かに立派なオペラハウスはハノイの象徴としてそこに屹立しているが、オペラハウスのコンテンツを楽しむような文化が成熟しているとはにわかに言い難い。

クラシックのコンサートのさなかでも観客の1割くらいの人は携帯電話をいじっているし、曲の途中で着信音がなるのも1度や2度ではなかった。

これは映画館に行っても同じで、家で携帯をいじりながら映画を見て、隣の友達や家族と話している、というような感覚をもったグループあるいはカップルが複数同じ空間で同じ映画を経験しているような状態といえる。

とはいえ、公演中に携帯電話をいじったり、友達と話すことが必ずしも悪いことなのか。

それは文化が成熟していないと簡単に切り捨てて良いものなのか。

鑑賞方法はお国柄や国民性に応じて様々なあり方があっても良いのではないか。

建築の様式論では、西洋(支配国)の文化が移植あるいは導入され、その国で育ってオリジナルなものになることをコロニアルスタイル様式とか帝冠様式とかいうが、そこに文化の豊かさや新しい価値の創造が行われていることは言うまでもない。

ガラパゴス的に独自の進化を遂げることもひとつ、様々な文化を吸収して自国風にアレンジされていくのもひとつ。オリジナルをそのまま模倣してしまっただけでは味気ない。

だから、映画やクラシックのコンサート中に携帯をいじっていても、それがベトナムスタイルと割り切れば理解できるというか、受け入れられると思う。

これはあらゆることに反映して考えることができる。

違いを発見してそれを楽しむ、そんな純粋な気持ちを持ち続けることが大切だろう。

もちろん相互に影響しあっていかなければ、異国の地に住んで仕事をしているという自分の存在意義がなくなってしまうことは言うまでもない。

参考文献:「建築のハノイ」大田省一

22.09.2019 更新

新聞を読んでいてイタリア・オペラ最高峰のスカラ座について面白い記事がのっていた。

「その昔は、貴族たちが豪華絢爛な観客ボックスをそれぞれ所有していたとのこと。料理人を連れて夜毎やって来ては、熱演中のオペラなどそっちのけで、ボックス内で肉を焼いたり、賭け事に興じたりということも珍しくなかったという。ロイヤル席に設えられた小ぶりの暖炉の焦げ跡は、優雅だった当時を偲ばせる」

なんということか!

ベトナムのオペラハウスで携帯をいじっていることを気にしている場合じゃなかった!

引用:日本経済新聞 2019/9/11「心の豊かさを支えるもの 作家 幸田真音」

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