日常、草、雨、
ここのところ雨の日が続いていた。
もうすぐ旧暦の7月になる。
旧暦の7月は雨が多いこと、そして日本で言う盆があるので死者の月、みたいなニュアンスがありこの時期にあらゆる契約をすることを嫌う。また、工事をこの時期に始めることも嫌う。
そんなこともあり、担当しているプロジェクトでは図面も揃っていないのに着工をしたりとてんやわんやだ。日本にも六曜があって、不動産や建設業界ではちょっと左右されることがあったが、基本的には日をベースにしているのでこの月はだめ、みたいなものはなかった。一方こちらでは暦に左右されることが往々にしてあるのだ。その暦といえば、Lyの誕生日事件というものがあった。
彼女の誕生祝いを去年の10月にして(Facebookで情報収集)、その何ヶ月後かに彼女のパスポートを見たときに6月か7月と記載されていてすでにびっくりしていたのだが、最近新たなる誕生日が浮上したのだ。
彼女の生まれた年には旧暦で8月が2回あって、今までずっと西暦の10月に当たると思っていたものが実は9月に当たるとかで、最新の彼女の誕生日は9月末ということになっている。
そんなこんなで日常は流れていくのだが、引っ越してから植物を育て始め、酒やらなんやらの空き缶、空き瓶が大量に発生するものだからそれを使うべく植物たちを分化、増殖させたり、果物の種を育てたりしている。彼らは本当に不思議で、そして美しい。
水や土に挿すだけで上も下も無くそのうち新しい芽を出して、その眼が次なる獲物というか栄養分を目指してぐんぐん成長していく。日々それらを観察、というほどではないが見ていてなんとなく心が満たされる。そして世話をしているという気持ちがなんというか子供がおままごとをして自己充足するような構造で満足感をもたらしてくれる。小さな責任感のようなものも芽生えた。
去年はそもそもアパートに植物を育てるような良いバルコニーがなかったことや、いつでも動けるような身軽さを楽しみたいと思っていたのでLyからもらった観葉植物と預かっていたピースリリー以外には何も育てていなかった。植物という生き物というか半不動産によって自分をこの街に固定化しているとも言える。だからこのアパートを引っ越すときはどうしたものか、などと将来のことを考えたりもしている。
植物は強いので彼らは彼らで自分の生きる道を見つけていくことだろうが、愛着のある子どもたちでもあるので、良い形で面倒を見て、彼らが成長していくさまを楽しみたい。
日本に残してきた子どもたちも母が面倒を見てくれているので、どうやらすくすく育っているようで自分が見ていたときにはついぞ見られなかった成長や進化を遂げているようで嬉しい。
遠く離れた母とのコミュニケーションにもなってくれていることも嬉しい。