99日間の父親生活 〜そして父になる〜 前編

Lyの姪っ子のBongが小学校の夏休みにHanoiに遊びに来た。

前々からかわいがっている姪っ子をHanoiに連れてきたいと言っていたのであるが、ようやくそれが実現した。

3人の子供を育てるのは大変なので、一番上の子だけでも夏休みにどこかに行ってくれれば、というお母さん側の思いもあり、ようやく実現した。

人見知りなので、ひとりでバスには乗れないとかなんとかで最初から揉めていたが、いきなり来ることになった。

自分も可愛がっていたので楽しみになって夕飯の準備をしたり、最後の一人の時間を楽しもうと近くのカフェでちょっと時間を過ごしたり、そんな土曜日だった。

夕方Lyの仕事が終わり、Bongを迎えにQuanの職場までバイクで向かった。

Ha Dongの大通りの終わりの先なので、小一時間かけていった。

日が沈む頃について、元気そうなBongと再開した。

つい数週間前に向こうに遊びに行ったばかりだったので、それほどの感動とかはなく(まあ、この国においてはそんなことは全く期待できないのだが)あっさりと、かつ相変わらず全然なついていないのでかばんとかも持たせてもらえない。

それですぐに家に向かった。

生まれてはじめて自分の街から出てきたので、この大都会を見てさぞ感動しているだろうと思いきや、まったくそんな素振りを見せず、Lotteタワーが見えてきたのであそこにおじさんは住んでいるんだよとか言ってもほぼ無反応。建物全体が暗かったので全くお気に召さなかったらしい。

ギラギラのVincom系に野性的に惹かれていたようだ。


家について自分が料理したものを出したがまあまあちゃんと食べていた。

元気いっぱいで狭いアパートを走り回っていた。



あれ、この子いつ帰るんだろうか?


という疑問が浮かんでLyに聞くも特に決まっていない。一週間か、それ以上か。あまり早く返しても母親(=お姉さん)が忙しくなるので、それは避けたいとか。

え、でもこっちにもこっちの生活があるんですけど。。。

という話は二の次になってしまう。


慣れてきたら子供はすぐに調子に乗って手に負えなくなる。

しかも日中は仕事に出ている二人には同行せずに家にいる。

教育パパな私は初日から小学二年生の算数の問題を事務所で大量に印刷して持って帰ってきたら、Bongは3年生になるとか。おいおい、そこは間違えてくれるな。

次の日に小学三年生の算数の問題を事務所で大量に印刷して持って帰ったら、こんな量は出来ないとか甘えたことを抜かしているので、勉強しない子には飯はやらん的なことを言ったら泣き出す始末。

そして、とにかく勉強しない。

日中暑いアパートの中ずっと一人で家にいるのでそれはそれで大変心配なのだが、家に帰ってみるとカウチの上で寝転んで何をするでもなく天井を見ていたりするからこの子供の暇を潰す能力に恐れ入った。

で、もちろん勉強はしていない。たった一枚の宿題すらも。


全く驚きの連続であった。

そしてその驚きは主にストレスとなって自分に跳ね返ってきた。

本当の父親でもないのに教育パパ的な考え方を持っているものだから、田舎でのびのび過ごしてきたこの娘の0から10まですべてが癪に障る。

そして破壊的に暴力的で、9歳ともなるとなかなかの力で手加減なく蹴ったり殴ったりするものだから時々本当に嫌になって怒鳴ったり家を出たり、逆に叩き返したり、色々あった。

その頃には数週間経っていて、自分の神経がすり減っているのがよくわかった。そして毎朝我々が仕事に行くときには大泣きをしてどうにもならない。9歳にもなって大泣きなんてするんじゃないこのガキが!と思いながら扉を締めて去ったり、泣き止むまで一緒に過ごしたり、色々あった。

そんなこんなでこっちが限界に到達しそうになっていたころ、実はLyもかなり溜まっていたようで、ある朝、こんなふうに毎朝泣かれるとさっさとホームタウンに送り返してやりたくなる、と言っている。

この言葉が呼び水になって溜まっていた鬱憤が怒涛のように放出し始めた。

というのも、自分のアパートとはいえ、彼女の手前、さっさと送り返しちまえなんて口が裂けても言えないし、それとなく文句を言うことも自分のコモンセンスの範疇で作られた行動規約的にアウトだったので、ただただ内側にストレスをためていたのだ。ほぼ毎日のようにCamilleには文句を言っていたが。

だが、こともあろう彼女自身がそのように考えているなら自分だって同じように考えていいのだというパラダイムシフトが起きて、もう嫌、これ以上無理、という姿勢を張るようになった。

生まれて初めて恋人と同棲をし始めて2,3ヶ月でいきなりこの野生娘が転がり込んできたのだから当然といえば当然だろう。そんなこともあって、更にギクシャクした生活が続いていた。


ある日曜日にBongが行きたがっていた空港までドライブして飛行機を見ようと行って出発しようとしたら寝起きだったのかダダをこね始めて、それにも飽き飽きしたLyがじゃあ二人で行ってくるからと行って家を出ると聞いたこともないような激しい嗚咽と泣き声。少し先に出ていったLyを追うようにして一階まで降りてきたが異常な泣き声が近所に響き渡っている。あれ、このへんに赤ちゃんなんていたっけとか素っ頓狂なことを思ってしまったくらいありえない泣き声だった。

それで、これはただ事じゃないと言って6階までもどるとあろうことかわざわざ共用階段の踊り場で泣いている。これは近所迷惑だし、おかしすぎる泣き声なのでどうしようかと気をもんでいた。

ちょうどその頃に読んでいた本がベトナム戦争前後に特派員としてホーチミンに住んでいた人が現地で出会った女性と結婚して、その連れ子と家族になり、ベトナム人がどうやって子育てをするか、みたいな章を含んでおり、ちょうど自分の境遇に近かったこともあり、大変興味深く読んでいた。曰く、泣いている子供が驚くくらい殴りつけて泣き止ますとか親には絶対服従とか、今までの自分が育んできた教育観とは全く異なるものばかりだった。そんなものを読んだものだから、ここは思い切り殴るか冷たい水でもぶっかけて正気に戻してやろうかとか考えていた。声が出ないほどの嗚咽で、涙も声も枯れているのにまだ泣き止もうとしないし、目に入っているものも全く見えていない様子で、完全にパニック状態のようだったので、尚更困った。でも彼女の姪っ子という微妙な関係性もあり、暴力とかトラウマになるようなことは出来ないな〜なんて思っていたらLyがやってきたと思ったら、思いっきり部屋の外からベッドまで引っ張っていってベッドの上に乗せるとハンガーで思い切り尻を叩きはじめた。なかなか鬼気迫るものがあるし、恋人がそんなことをしているのをどんな顔をして見ていればいいのかわからない、という複雑な感じで見ていた。

その後お母さんと電話で話をしてなんとか落ち着いた。これからどうなっちまうんだ(今までは女子チームと自分の対立軸だった)三権分立じゃないけどノーサイド状態の3極になってしまうのかとか、色々考えていたのだが、数時間後には女子たちはすっかり仲直りをしていた。


これらのエピソードの他にも、数多くの事件や出来事があった。

1つ言えることは、幸福とストレスの半々、と言いたいところだが実際は2:8くらいだったろうか。

プールに行ったときはなかなか楽しかったけど、白人がゆっくり楽しんでいる中バシャバシャかつ大騒ぎしている女子二人を連れている(そんなふうに思うこと自体、凝り固まった考え方なのだが)のはちょっと気まずいとか、給料日に待ちに待った外食で久しぶりに日本食に行ったらカネがないとか大声で話し始めて思いっきり腹が立ったり恥ずかしい思いをしたり、一ヶ月祝をしたときに近所の安いバーガーを買いに行ったらとんでもなく高くついて、生活費のやりくりに困ったりとか。そもそも同時期にお金の心配と問題もあったからダブルパンチのストレスだったわけだ。

本当はせっかくハノイに来たからいろいろなところに連れて行ってあげたかったけどCOVIDのせいでなかなかそうもいかなかったり。ホストするこちら側の不甲斐なさもストレスの一因になっていた。

また、あの暑さもなにか魔力を含んでいた。毎日暑くて暑くて、でも家に帰ると小うるさい娘がいて、何もかも思い通りに行かないのでわざと遅く帰ってみたり、必要以上にお笑いを聞いてストレスを発散しようとしたり、それでも暑くて汗をかいて、夜は寝苦しくて、でもどうしても暑くてどうにもならなかったときにLyがエアコンをつけていいかと聞いてきたときには、ようやく聞いてくれたかという感じで仕方がないと言ってOKをしたり。自分に課したルールは他人を巻き込むといきなり難しくなるし、自分自身が弱気になったりして、妥協が連鎖的に起こったり。


言葉が通じないという本質的な問題を抱えていたのも大きな事実。

結局、不自由ばかりで愛せなくなってしまって、神経質に責任感だけは感じるので尚更怒りのベクトルに向かい、それがコミュニケーション不良によって悪化のスパイラルを辿っていた。



これが日本のフラリーマンの真相か、と大きく合点がいったのだった。


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